令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

前進しても不安

昨日はあまりにも眠くて半日眠ってしまい、記事を書けなかった。昨日気がついたのは、どうやら人と話しているとお薬の回りを感じやすいということ。
一昨日の夜、久しぶりにブロンを入れたのだけど、昨日の午後からカウンセリングの予約を入れていたのをすっかり忘れていた。お昼にしぶしぶ起きて、なんとか支度をしてカウンセリングへ。その時点で外はめちゃくちゃ暑いし久しぶりの長めの移動だしでかなりへばっていたのだが、心理士の先生と話しているうちにどんどん意識がふわふわしてきた。先生の声が頭に直接響いてくる感じ。考えながら話しているというのもあるが、言葉を出すのに妙に時間がかかる。50分間のカウンセリングのうち、30分ほどが経過した時にODの影響かもしれないと気がついた。その後はひたすら耐えながらカウンセリングを受ける時間。しんどかった。
そういえば、前々からブロンは入れた後2,3日はなんとなくふわふわした感じが続くお薬だったのだ。一昨日は少なめとはいえブロン中心で入れていたし、途中で眠ったからリセットされたような気分になっていたものの、昨日のカウンセリングの時間はまだゆるくブロンが残っていてもおかしくない時間だったし、きっと会話という脳の回転が必要なタスクをこなすには、ブロンが残った昨日の脳では少し難しいものがあったのだ。
しかしカウンセリング自体は実りのあるものだった。まず最近のODの話をして、わたしのストレス源だとかそういうものを探る中で、【個人として尊重されること】と【適切に注意を受け、ラインを引いてもらうこと】が、わたしが成長する中で親に満たしてもらえなかった欲求なのではないかと考察できた。また、これらはこの先のカウンセリングで満たして行こうともお話できた。

この先は1人になってから考えたことだが、うちの親は割と甘めで過保護で、しかもわたしは優等生タイプの手のかからない子どもだったのだと思う。だから親はわたしを叱るべき場面をあまり見つけられなかったし、自分達の思う通りに育つものだからいつまでも子どもが自分の一部であるかのように感じてしまっているのではないかと思う。
そういう意味では自殺未遂は親への影響もかなり大きいのかもしれない。別に親への不満を表明したくて自殺を志したわけではないが、結果としてそれは親の意思から外れた、わたしの主体性を表明する出来事になり、親がわたしを他者だと認識するきっかけになったのではないかと思う。まあまだまだ過保護だけど、今は仕方ないよね。周りから見ればわたしは“生命の危険がある精神病患者”だろうから。

そろそろ帰省する。一応実家固定ではなく、その間のホテルも取ってもらっているのでそちらで過ごすことも選べるだろうけどどうしてもストレスは溜まっちゃうだろうな。予定も結構詰まりそうな予感。東京に比べれば人だったり街の情報量だったりは少ないだろうからそこは安心だけど……。
ひとまずしっかりめのOD1回分のメジコンは持っていこうと思っているけどそれもどうだろうな。結局使えるタイミングがあまり無いかもしれない。ほんとは向こうにあるお洋服屋さんなんかも覗きに行きたい気持ちはあるんだけど無理したら東京帰ってきてからの反動が怖いしやだなぁ……。というか今は頻繁に顔を合わせる母親がストレス過ぎて忘れていたけれど、親戚や家族の中では母親が一番ストレスを感じない方なんだよね。弟は別枠だけど。
はぁ、無事に東京に帰ってこれるのかなぁ。