令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

明日はサイン会

そわそわして眠れないから文を書く。体はそれなりに疲れていそうなのに心が追いつかない。電気を消す気になれない。

明日(今日)は野ばら様のサイン会。野ばら様に会えてしまう。会えるだけでとびきり嬉しいのに、サインを頂けてお話が出来て、お手紙もプレゼントも渡して良くて、その上スマホでツーショットも撮らせていただける。ファンを恋人のように思う野ばら様だからこそのサービスなのだろう。号泣してもいいらしい。わたしは泣くかしら。

何よりロリィタファッションで会いに行けることが嬉しい。頑張ってロッキンホース・バレリーナも履いていこうと思う。さっきパックもした。まるでデート前、いや、それ以上か。

不安はない。強いて言えばお寝坊だけが怖いけど、サイン会は早朝では無いからきっと大丈夫。もしヘマをしてしまっても野ばら様なら分かってくださるという安心感がある。すごいなあ。

 

本当にそわそわする。このまま寝ずに行ってしまおうか。でもさっきルーランを飲んでしまったからきっと眠くなる。

野ばら様には本当に救われたし、救われ続けている。想い人からの連絡が途絶えたあの夏、わたしに手を差し伸べてくれたのは野ばら様だった。失礼な形でのファンレターだったのに読んでくださって、応えてくださって。重力に逆らうことすらままならなかったわたしはあのブログに本当に力を貰った。今でも苦しい時は読み返す。

そう、わたしたちはどうやってもこの世を上手く渡っていけない。だけど間違っている訳でもない。ただ少数派だというだけ。それだけ。

 

美意識を持って生きることの大切さは野ばら様から教わった。これは近頃のわたしの核となりつつある。本当に、野ばら様に出会っていなければ今のわたしは有り得ない。

 

そんな貴方に明日会える。直接感謝を伝えられる。考えただけで既に泣きそう。マスカラはウォータープルーフのものにしなければなりませんね。わたしは今夜眠れるでしょうか。眠れなければふわふわした夢見心地な頭で貴方に会うことになる。それはそれですてきかもしれませんね。

高校演劇部の話

高校の部活の話を人にした。学校の人以外に話したのは結構久しぶりかも。対面で話したのは多分病院以外だと初めて。病み垢やってた時にスペースで話したことはあったけれど。

話した相手が運動部出身の人で、しかも先輩より上手くて先輩の立場を無くしてたみたいな背景だったから返ってくる反応も新鮮だった。わたしの周りにはいなかったタイプな気がする。運動部で活躍してるような人は基本的にこんな陰気な女とは絡まない。

高校演劇はどちらかといえば体育会系のノリだと思うし、体力勝負だし、わたしだって一応走り込みやら腹筋やらを毎日していた時期があるけれど、本物の体育会系と違うのは成績がはっきりしないこと。どこまで言っても芸術だから、大会はあったとしても明確に優劣は決められない。大会で落ちたからと言ってその舞台が劣ったものだった、という評価には繋がらない。発声だって滑舌だって、そりゃ演技そのものに比べれば優劣がつけやすい類のものではあるけれど声質の違いもあるし、簡単に白黒つけられるものではない。

運動部だとそこの優劣がはっきり出るから後輩より下手な先輩はあまり威張れない、らしい。1人にしか聞いてないし、学校も違うからきっと生徒の雰囲気も違うだろうし実際のところは分からないけど。団体競技になるとまた違うだろうしね。

部長は高校演劇に造詣が深かったし、本気で俳優を目指していたらしいけど部の中で抜きん出て上手かったかと言われればそうでも無かった。顧問が来た時は顧問の顔色を伺いながら演技してたらしいし。というか、意識の高さで言えばわたしだって役者を目指して東京の大学を目指そうとしてた訳だし(部内では明言していなかったけど)、そう変わらないはずなんですけど?

そんな状況下で、しかも学年がひとつしか違わないという状況だったにも関わらず部長があれだけ威張れていたのは文化部だからだったんだなぁと、あいつは運動部のノリを求めていたけれど本当にそこに行ったなら潰されるような弱っちい男だったんだなぁと思えて少しすっきりした。

そういえば今思い出したけど、部長はジュノンボーイコンテストに出ていたけれど野球部ノ妨害に遭って落ちたという噂もあったんだった。妨害そのものの善し悪しはともかくとして、そうやって運動部に目の敵にされてしまうような性質を持っていたということだろう。わたしもまあ人のこと言えないけど、それでもダサいね。

結局向こうは大学受験に落ちて、わたしは登校拒否気味ながらもなんとか推薦で第一志望に合格して上京したから、その辺も含めて人間性の差だなぁと思う。向こうは向こうで複雑な精神状態があったのかもしれないけれど、品の無い指導をしていいという理由にはならない。

ああいうのを見ると、どんなにみっともなくても社会的に弱くても美意識を大切に生きていきたいなと改めて思う。

春キャベツ

ここ1週間くらい自炊を頑張っている。なぜならお金が無いから。なぜならベースブレッドを食べる気がしないから。

春だから、というのもあるかも。春野菜は割と好きな気がする。やわらかくて美味しいイメージ。春野菜っていつまで出てるんだろう。春キャベツとアスパラガスは食べられたけど、新玉ねぎや新じゃがはまだ。新玉ねぎって甘くていいよねえ。じゃがいもは調理が大変だから今年は買わなさそうだけど、そもそもじゃがいもが好きだから新じゃがはもっと魅力的に感じちゃう。

この前は春キャベツでとんぺい焼きを作った。そう、焼きそばも安くて調理が手軽で重宝している。どうせ具材は1種類、多くても2種類しか入れないから炒める時間が1分もかからない。楽すぎる。思い立った時にパッと作って食べてまたすぐ動画鑑賞に戻れる手軽さ。ようやく良さに気づいた。

焼きそばブーム→とんぺい焼きを作りたくて春キャベツと卵を買い足す→ありものでスープを作る

という良い流れが今来ている。ついさっきスープを作った。結構多めにできたから、これにおうどんを入れてまた明日食べようかなぁと企んでいる。絶対美味しい。一人暮らしを始めて1年が経過して、ようやくこういうことができるようになってきた。

わたしはなるべく包丁もまな板も使わないお手軽調理を目指しているから、さっきのスープもそうやって作った。キャベツをぜーんぶ手で剥いて、手でちぎって鍋に放り込んだ。

その最中、小さい青虫(と言っても濁った色の)が出てきてびっくりした。なんか汚れが増えてるなと思ったけど、君だったのか。

びっくりしつつ、でもまあ新鮮な証だよねとまた剥いていく。そうしたら、さっきの3倍くらいの青虫(同じ色味)が出てきた!

これにはさすがに驚愕して頭よりも先に体が反応した。幸いキャベツを落とすとかは無かったけど。衝撃で青虫はシンクに放り落とされた。たぶんこっちが親で、さっきの小さいのを産んだのだろう。住処にされていた。

その後キャベツを調理したり虫を外に逃がしたりしている間ずっと、小さい頃のことを思い出していた。母とキッチンに並んでいる時もこんな風に野菜に虫が潜んでいることがあって、その度にきゃっきゃと騒いでいた。

幼稚園で習ったか、おかあさんといっしょで見たか忘れたけど童謡に「キャベツ〜の、中か〜ら、青む・し・で・た・よ」という歌があって、青虫が出てくるとよくその歌の話をした、ような気がする。

春野菜の意識がちゃんとあったり、食育は手厚いおうちで育ったはずなんだけどなあ。なんで食べるの嫌がる子に育っちゃったんだろう。そんな夜。

ラリって泣いてる

コンタックの効き方がメジコンのそれと似てきてしまった。わたしにとってのメジコンみたいに少量で長く効くスーパーメディスンになってくれるのはコスパが良くて助かるのだけれど、心が緩んでたくさん泣いてしまうところまで似てきては使い勝手が悪くて困る。

確かに、ラリってゆるんだ心で不安の種を掘り起こして悪い考えを巡らせて泣くことは、結果的にはリフレッシュに繋がってくれるんだと思う。だけどしんどい。ODする時っていうのはそういうものから逃れてぽわぽわしたい時なのに、本末転倒じゃないか。

今日はいつも通りゆるくコンタックを入れただけだったのにマイナスな方に振り切ってしまって、あの人のSNSを見に行ってしまった。ブロックされているアカウントがまた増えていることに気がついて、気持ちがぐちゃぐちゃになってしまった。ブロックされている、拒絶されているという事実はとても辛いけれど、その間わたしがDMやリプといったアクションは起こしていなかったことを思うと、あの人の意思でわたしのプロフに飛んでわざわざブロックしたのかなと推測できて、あの人の生活の中にまだわたしが居られていた事実に嬉しくなると同時に、そんな自分に嫌気が差した。気持ち悪すぎる。死ねよ。だけどこれで死ぬのも迷惑なメンヘラ仕草すぎて行き場が無い。誰かわたしを薬漬けにしてください。

 

実際問題、コンタックを入れる度にこうなっていては心が持たない。薬の勢いで死んでしまえそうだ。まあ処方薬があるからなるべくそれを使えばいいのだけれど、それでは足りないふわふわ感を味わいたい時はどうすればいいんだろう。やっぱりお酒か?でもここまで来たら誕生日までは清い喉を守りたい。

 

ブロン的な、ダウナー系のものを買うしかないんだろうか……。別にいいけど求めている感覚とはやっぱり違うんだよね。あ〜解体面倒だけどナロエという手も……

だめだね、こういうのは人目に付く場所に書くべきではない。別にここはOD推奨ブログではないのだから。

この前街で見たCBDにでも手を出してみようか。でも多分あれってハイになる類のものだよね?それは求めてないし、大麻の成分にまで手を出したらドラッグに手を出してしまうのも時間の問題になってしまう気がする。それは嫌だ。

この頃はブログに書くことがそんなに無いなあと思っていたけれど今日は溢れてくる。そういうことなんだろう。しんどい時は自分の中に色んなものが渦巻いているということ。

 

こうやって薬でバッドトリップ的になって1人で泣いている時ほど情けない時はない。こんな時、だる絡みの電話でもできる人がいればなあと心から思う。さみしいよ。

病院の常連さん

病院に行った。薄々勘づいてはいたけれど、受付の人に顔を覚えられているっぽい。保険証など諸々を出す前にもう名前を呼ばれた。そんな変な患者かなぁ。

 

と思ったけど、いつもツインテールで来る明るい髪の派手服ガールなんて覚えやすいに決まってる。今は2週に1回だけど、前までは毎週通っていたし、行けなくて予約の変更をすることもしょっちゅうだし、本当に酷かった時期はわたし不在で母親だけ行って、主治医でもない先生に無理やりお薬を出してもらっていたんだった。そりゃ目立つ、問題のある患者だよね。その節はお世話かけました。

ここ数ヶ月くらい病院に行くのがどんどんしんどくなってきた。今日も行く前は気分が黒く沈んで、タクシーを使うか寸前まで悩んだ。結局電車で来たけど。節約できてえらいね。

病院に来てしまえば楽なのになんでしんどいんだろう。今日もたくさん褒めてもらえた。薬が上手く使えてるとか、バイトを応募したと言ったら自分でちゃんと考えられてえらいとか、自己肯定感を上げてくれる。本来の親ってこういうものなんだろうかと考えたりもする。病院は安心できる会話が多いけれどやっぱり自分の深いところを出さなければならない場だし、忙しそうなのを感じ取ってしまう時もあるし、そんなこんなでハードルが上がってきているのかもしれない。

 

帰り道、すっかり元気になったのでサイン会用の花束を予約して帰った。駅前のお花屋さんは近所にあってほしいお花屋さんナンバーワンみたいな雰囲気のお店な気がする。大当たり。前に1度、「100円でいいですよ」と薔薇を100円で売ってもらったことがあるけれど今日の説明では大体1本500~600円ですねと聞いたので、あの時はご厚意でお値引してもらえていたんだろう。

お花を飾ると萎れるにつれてかなしくなってしまったから飾るのは諦めてしまったけれど、あのお花屋さんは定期的に利用していきたいな。ほっとできる素敵なお店はずっとそこに在ってほしい。

仲直りしたいんだもう一度カルアミルクで

「仲直り」がしたいな。仲直りって全然できてない。人と衝突することがまず少ないし、合わないと思ったらそのまま縁を切ってしまうような薄い関係ばかりでここ最近は埋められている。

怒って/怒られて、対応を考えて、改善点を考えて対話して仲直りする。なんとなく気まずいけれど、前よりは深い部分で繋がれたような心地で満たされる。そんな経験をまたしたい。

 

昨日人と会って、それがとても安心できる時間だったからか今日はすごく元気だった。元気だけどお金はなくて、だからどう時間を潰したものかとなやんだ結果スマホの機種変をしに行った。外は風が凄かった。

対応をしてもらってる時、近所のおじいさんが予約無しに来てわたしの担当の店員さんにあれこれと質問を投げかけていた。店員さんは上手くあしらっていて、慣れてるなぁと思った。携帯ショップってそういう暇つぶしの場にもなってしまっているのかも。

おじいさん、多少物分りが悪いだけで普通に受け答えしていたし最後も「仕事中にごめんね」と言って去っていったのできっと悪い人では無いのだろうけど、如何せん声が大きくて怖かった。どうして同じ日本語を話しているのにあんなに声が大きくなるんだろう。ああ、耳が悪いからか。今謎が解けた。

声が大きい人や体が大きい人は純粋に怖い。そうやって怖い要素があると、ただでさえ恐怖を見ないように暮らしてなんとか生きているわたしはそこに居るのが辛くなってしまう。

あと、携帯の契約を自分でするのも怖かった。いつもは親がついていたけれど、もう家を出てしまったから代理人として契約するしかなくて、別に何も悪いことはしていないはずだけど恐ろしかった。

そんな時、ヒットソングが流れていた店内BGMが聞き慣れた歌声に変わった。Adoさんの新曲らしかった。ONEPIECE FILM REDを観て以来Adoさんには好感を抱いている。そんな彼女の歌声が聞こえてきた途端、心が軽くなって守られているような気持ちになれた。

メジャーなコンテンツを好きになることのメリットはここかもしれないなと思った。日常の予期せぬ瞬間に、加護を受けられる可能性があるという良さ。ちいかわなんかもそうなのだ。たまたま入ったコンビニでちいかわコラボの商品を見つけたりするとそれだけで心に羽が生える。きゅんきゅんして、その日はちょっといい日になる。

羽休め

羽を休める場所ができそうで嬉しい。かといって完全に眠ることはできないけれど。

天使も小鳥も悪魔だって、ずっと飛び続けることはできない。どこかで羽を休める必要がある。だからわたしもこれくらいは許されるはず。これは自暴自棄では無いはず。

安心だけをずっと求めている人生な気がする。こんなんだから不安障害になるんだよ、笑っちゃうね。

安心したくて、崩れない居場所が欲しくて、技能でそれを手にしてきた。そこそこ優秀で、そこそこ真面目な優等生キャラとしてわたしはいつも集団に所属していた。

それが立ち行かなくなった初めの転機はやはり高校のパワハラ部活だろうなぁと思う。あの環境下ではいくら頑張ろうと居場所が与えられることは無かった。むしろ、わたしが優秀になって部長の存在価値を脅かせば脅かすほどに当たりが強くなるという仕組みだっただろう。笑えない。

最近は真面目キャラとして扱われることが格段に減った。服装のせいだろうか。見下されてるなと感じてしまうこともあるし、この扱いにはまだ慣れない部分もあるけれど大きな変化だなとも思う。こうやって少しずつ色んな安心方法を知っていきたい。

 

話は変わって、今度バイトを始めることになった。本当に久方ぶりの労働。去年の7月に自殺未遂にまで追い込まれた最後の原因はバイトだったけれど、今回はどうなるだろうか。一応自分への負担を最大限に考慮して家からかなり近い職場を選んだし、どうやら同僚はマダムが多そう。仕事量は想像できないけど、とんでもなく多忙という訳ではない気がする。何度か利用したことがあるから知っている。

髪色やネイルの規定がしっかりあったのは残念だけど、気分よく働けるようにリネアストリアのアメリボブというウィッグを購入した。アメリってたぶんあのアメリ。この前アメリの名を冠した古着屋さんに行くべく栃木まで出向いたりもしたし、最近はなんとなくアメリに縁がある。いい映画だよね。

バイト、不安だけど同じくらいわくわくもできていて、それはすごく良い兆しだなぁと思う。不安とわくわくは似て非なるものだから、もっと色んな不安をわくわくに置き換えていければ明るい人生が送れるんだと思う。ほどよく頑張るぞ。