令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

いやな世界

久しぶりに楽しい一日だった。スタンディングのライブに行ってきて、体はくたくただけど心は元気でうれしい。運が良くて、二列目のほとんど真ん中の方に陣取ることができて、とっても楽しかった。なんだか前よりもライブで盛り上がるのが上手になったかも。手を上げたり体を揺さぶったり。
楽しかったんだけど、感覚としては軽い躁に近かったのか、帰ってきてからは一気に気分が落ち込んだ。安定剤を入れるかそれともodするか迷ってる。一応メジコンもオレンジジュースも、お薬が回るまでの間に食べるお菓子も揃っているからodすることはできるんだよね。ただ、帰省はまだまだ長いし、今使っちゃうのはどうなんだろうって気持ちがある。あと単純に、odすると体はすごく疲れちゃうから既に疲れてる今日はしない方がいいかなって気もする。う〜ん、でも迷う。とりあえず安定剤試してから考えようか。

今日、大学の友人から突然インスタのDMが飛んできたのでなんだろうと思ったら、大学生活もうだめかもしれない、といった内容だった。正直いつも明るい感じで強そうな子だったから予想外だったし、てっきり夏休みのお出かけのお誘いかなにかかと予想していた。
その子がしんどそうなことはただただ心配だけど、でもその子にとっては自分よりも大学に馴染めていない(その子と被ってる講義は数ヶ月前から休みっぱなしだった)であろうわたしという存在が、弱音を吐くのにぴったりだったのかなと思うと少し嬉しかった。ただ社会のお荷物なだけだと思っていた病んだ自分がこんな風に誰かの役に立てることもあるんだなって。いや、全部わたしの想像なんだけどね。
世の中は人間が目いっぱい頑張らないと回らないようにできすぎだと思う。人類全体の進歩が本当に人類の幸福に繋がるんだろうか?それよりも、体力があって志が高い人はその人たちの世界で、体力は少ないけど小さな幸せを見つけられる人はその人たちの世界で、お互いにとっての幸せを追求できるような世の中になるべきだと思う。もちろんわたしが属するのは後者。
そりゃあ現実問題、そんな風にしたら体力がある人間がない人間を支配する、上下関係にまみれた悲しい世界になる可能性が非常に高いんだとは思う。でも結局それも体力ある人の価値観でしかないよね。わたし個人の意見で言えば、別にそれでゆるく生きていけるのなら誰かに支配されたって構わないし、小さな幸せで満足できない、飢えたその人たちは可哀想な人だなとすら思う。世の中強い人目線で構成されすぎだよ。