令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

中途半端ないじめ体験

小学5年生の頃、1ヶ月だけいじめを受けていたことがある。中学くらいまではずっとトラウマのようになっていて、気分が落ち込んだ時にはいつも、最終的にいじめのことを思い出して震えていた。
高校くらいからは途端に考えなくても生きられるようになり、というより、その頃はもっと大きな問題が生まれていたからそちらが新たなトラウマになったのかもしれない。トラウマの上書き。なんて最悪なんだ。
わたしの不幸はいつだって中途半端だ。いじめはクラスの男子2人からのもので、席替えがされるまでの1ヶ月間耐えればそれで済んだ。当時は1ヶ月に1回席替えが行われていて、彼らはその時の席で同じ班になった2人だったのだ。
カマキリのような顔をした男子はクラスでもそこそこの問題児。もう1人はスネ夫のようにカマキリに便乗してわたしをいじめる。父親が京大の教授で、そのことをいつも自慢していた。カマキリ男がわたしの前の席で、スネ夫は左隣。左前、つまりカマキリの隣にはちょっとノリの良い女の子がいて、親のスマホを借りてやっているであろうゲーム(たぶんモンストとか)の話で男子といつも盛り上がっていた。わたしの左後ろは1人席になっていて、背の高い、少しふくよかな女の子が座っていた。この子も特に助けてくれるわけでもなく、「相手にしなければいいじゃん」とわたしに呆れていた。
いじめの内容はなんてことない。口を開けば「喋んな」と一蹴されたり、机を外側の通路に向けて押されたり、「臭い」と何度も罵られたり、習字の時間に机に敷いた新聞紙や教科書に墨を塗りたくられたり。よくドラマや漫画にあるような、大々的ないじめではなかった。それでもわたしは毎日怯えていたし、習字の時間が嫌いで嫌いでたまらなかった。泣かなかったけれど、よく「泣け泣け」と煽られた。死にたいと初めて思ったのはこの頃だった。
当時わたしはこれはいじめなんだろうか、被害者がいじめだと思えばそれはいじめだと言うけれど、でもそれには少し程度が弱いんじゃなかろうか、と迷っていた。けれどある日、転校生が来て、その子がわたし達の班に配属された、もっと言えばわたしの右隣に座った時、カマキリ男は言ったのだ。「前の学校っていじめとかあった?」と。あの時の居心地の悪さは忘れない。うちはあるよ、と、まるで自分たちのいじめを誇るべきことかのように語る彼らの残酷さはとても10歳そこらのものではなかった。これらの経験から、わたしは子どもほど意地汚い存在はないと思っている。子どもは可愛いけれど、悪いものを吸収したならばそれをそのまま出力してしまう愚かさを持っているから醜い。
いじめは1ヶ月で止んだが、その後も別の事情でわたしはクラスからしばし孤立した。1度だけ、1人で給食を食べたこともある。あれは心細かった。6年生に上がる時、いじめていた2人とだけは同じクラスになりませんようにと固く夜空にお祈りしたのだけれど、スネ夫と同じクラスになってしまった。しかも名簿が近いから新学期から隣の席。神さまは、というか、当時の学校はどうなっていたんだ。まあわたしたちが問題児すぎて5年の時の担任の先生はノイローゼになっていたしな。いじめにすら気づいていなかった可能性が高い。
わたしはまた苦しい日々が始まるのかと身を固くしながら始業式に向かった。けれど、スネ夫は何もしてこなかった。それどころか、何事も無かったかのように話しかけてきた。最低だ。やっぱりスネ夫だな。声の大きいカマキリがいないと何もできない。
こうしてわたしは無事、そこそこ平和に6年生生活をすごし、中学受験を成功させて地元のメンバーとはおさらばしたのでした。ちゃんちゃん。
ね?中途半端な不幸でしょう?けれどやっぱり、この日々はわたしの中に暗い影を落としているなと感じる。だって多感なお年頃だもの。ちなみに中学の環境はとってもわたしに合っていて、特にいじめられることもいじめを目にすることも無く、お友達もたくさん。わたしは無事、人の温かみを知ったのでした。Thank you for my friends.