令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

自由な身分

毎日死んで生まれ変わっている気分。昨日と今日のわたしは全然違う。昨日固く信じてたことは今日のわたしにとってはどうでも良いことで、昨日興味なかったことが今日いちばん大切なこと。昨日の敵は今日の敵みたいな、なんかそんな感じ。
躁と鬱と、調子の良い時と悪い時とをコロコロ変えながら、価値観も考え方もコロコロ変わっていくのだから毎日忙しい。傍から見れば、一日中六畳くらいのお部屋に閉じこもっているだけの動きのない生活だけど、頭の中では毎日革命が起きている。鬱状態がしんどい時だけは安定剤を飲んで落ち着かせるって技が使えるけど、その他の全ての変化にはなす術がなくて、ひたすら変化を抱えるしかない。楽しさもあるけれどまだまだ苦しみが強い。
今日は、この前メルカリで買って楽しみにしていたセーラームーンの漫画が届いた。時間指定なんて普段はしないのに早く欲しいからとわざわざ午前指定して、きっと重いから宅配ボックスじゃなくて対面の方がいいよねと、一生懸命午前中に起きて受け取った十冊の重たい漫画。
すぐに読みたかったけれど、昨日カフェインが含まれているお薬で遊んでいた反動からか、起きてからずっとずっと眠くて、お部屋を暗くして眠ってから第一巻を開いた。そこに広がっていたのは、宿命を背負った美しい女の子たちの、素敵だけれども過酷な物語。元々アニメで話は知っているけれど、原作とは違うところがそこそこあることは知っていたので楽しめた。

わたしには彼女たちのような宿命や、ロマンティックな前世は無い。それは悲しいことで、つらいことで、寂しいことで、なぜなら自らの運命を自らで定めなければならないからだ。どうして、生まれたいと願ったわけでもないのに生きる道は自己責任になるんだろう。わたしもお姫さまに生まれたかった。
だけどこの自由な選択肢は、かつてたくさんの人たちが欲しがったものなんだよね。ベルサイユのばらで見たよ、自由を求める民衆たちの、フランス革命を。不自由を強いられる社会で、不自由を強いられる身分に生まれたあなたたちは力を合わせて自由な時代を作ろうとしたんだよね。
わたしは日本人だけど、でもまあ、世界は繋がっているのだから、この人たちの努力がわたしの今の生活を作ったと言っても過言ではないわけで。そう思うとこの自由をふいにしてしまうのは少しもったいないなとも思い始めた。
わたしには使命はない。定められた運命もない。だからこそ何をしたっていい。自己責任なんだから、大失敗して最期に地獄の業火に焼かれるようなことになっちゃったって誰も怒んない。だったら好きに生きてみようかなって、今日はそう思ってる。