令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

児童向けコンテンツは価値観を植え付けるのか?

少し前までは読書ブームだったけれど、最近はそれに加えてアニメブームがわたしの中で起こっている。読書は電子書籍で、4冊くらいの本を並行して読むことで、その時の気分に合わせた本を選べていた。アニメでも同じようなことが起きていて、『CCさくら』『ひろプリ』『セーラームーン(無印)』『まどマギ』『ONEPIECE』を並行して見ている。どれもまだ序盤。『ONEPIECE』だけは少し前から見始めたので、今バラティエ編が終わろうとしているところだ。
まどマギ』を除いて、どれもとても長いシリーズなのでしばらくは飽きないだろう。名作揃いだし、見ていて精神に悪影響を及ぼすことも少ないと思われる。

『ひろプリ』はようやくキュアウィングが出てくるところまで見た。彼のなんとなくの経緯は当時Twitterで流れてきていたから知っている。だけど、実際に自分で見てみるとあまりにも自然にプリキュアになっていて、こちらもそれを自然に受け入れられることに驚いた。プリキュアの定義はもう「戦う女の子」では無いんだな。「強い意志を持った子がキラキラした格好に変身して戦う」だけでプリキュアなんだ。もう魔法少女を超えた、まさしくヒーロー&ヒーローガールになっていた。
これを見てわたしはとても勇気づけられた。こんな素敵な価値観がテレビで放送されるようになったのなら、かわいい女の子にしか価値がないと思ってしまうわたしの価値観も少しは変わるのではないかと。

だけどそう思うと同時に、今の時代の子どもが羨ましくなった。わたしが小さい頃はまだこんな素敵な価値観は無かったし、なんなら女の子は恋をしてなんぼだ、という意識が強かった気もする。けれど最近は、恋をするアニメの女の子の方が少ないんじゃないだろうか?『プリマジ』も、『デパプリ』も、幼馴染の男の子は主人公に恋をするけれど自分の目標にひたむきで鈍感な主人公はそれに気づかない。女の子が恋をする時代はもう終わったのだ。さみしいような、だけど生きやすい価値観だろうなと思うような、そんな気持ちだ。

わたしは恋をしている自分に依存している。それは、恋をしている=女の子らしくてかわいい=自己肯定、という図式がわたしの中で出来上がっているからだろう。そう思うと、こんな図式をはなから作らずに済む今の子どもたちはすごく羨ましい。恋なんて、恋することを目標にした途端おかしくなってしまうものなのだから。

だけどここまで考えを巡らせて、果たしてわたしの幼少期には現代のそれのように、自由な価値観を示すコンテンツは無かったんだろうか?と思い直した。そこで気がついた。確かにアニメでは上記のような、男女の差があったり、女の子は恋をして輝いたりといった価値観が一般的だった。けれど本の世界では少年少女が同じ土俵で同じように夢を見て恋をして冒険に身を投じていたのではないだろうか。

わたしは小さい頃からたくさん本を読んできた。中でも小学生の頃からのお気に入りの作家さんは、藤咲あゆなさんという方だ。藤咲先生の書かれた児童書の中でもわたしは特に『ムーンライト・ワンダーランド』シリーズと、『黒薔薇姫』シリーズと、『魔天使マテリアル』シリーズが好きだ。そしてこれらはどれも、少年少女が恋も冒険も夢も、自由に追いかける物語たちなのだ。

『ムーンライト・ワンダーランド』に関しては現在noteで読むことができるので、時間がある方はぜひ読んでみてほしい。児童書独特のテンポはあるが、大人でも楽しめるお話の深さがある。わたしの一等お気に入りな物語だ。

https://note.com/moonwonder

結局、その時の主流の価値観はあれど、探せば色んな価値観を示すコンテンツがこの世には溢れていて、そのどれが印象に残り、どれが自分の価値観となっていくか、というだけの話なのだ。きっと。わたしは少年少女が平等なお話を読みつつも、かわいい女の子たちがキラキラと活躍するお話に惹かれた。これはきっとコンテンツに押し付けられたものではなく、わたしの個性なのだ。