令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

ごはんと生

ごはんを食べないことは自傷なのでしょうか。
最近のわたくしは脱力状態で、色んなことが面倒です。中でもごはんを食べることはとってもいやなこと。ついつい忘れて、どんどん痩せ細ってしまいます。これは別にごはんを食べたくないだとか、太りたくないだとか、そういう心理が働いているというよりは、単に元々ごはんが嫌いなだけなのです。
外食ならまだ食べられますが、おうちで1人で食べるごはんになど価値がありません。どうして人間は栄養をとらないと生きていけない体のつくりになっているのでしょうか。他の動物とは異なる点を多く持っている人間のことですから、ごはんも食べなくて良いように進化してくれたなら良かったのに。
よく、三度の飯が大好き!という人がいます。いっぱい食べる君が好き、なんて決まり文句だってあります。どうしてみんな、そんなにごはんや、ごはんを好きな人のことを肯定しようとするのでしょうか?だって、ごはんって結構グロテスクな行為じゃないですか。噛んでいる途中の食物たちなんて、汚くて可哀想で、まったく見るに耐えません。次から次へと食物を口に放り込み、味までこだわったりして、食を最大限に楽しもうとする人間たちの姿は、異様だともわたくしは思います。
3食全部完全栄養食でいいではありませんか。ごはんなんて、栄養さえとれればそれでいいのです。時間をかける価値なんてありません――とまで言い切ってしまうと、さすがにわたくしの思想が入りすぎていますが。とにかく、この世界はごはんを美化しすぎです。
それから、生も美化しすぎだと思います。一体何をもって、死よりも生が素晴らしいという価値観をこんなに押し付けられるのでしょうか?だって誰も死は知らないのに。生しか知らないのに生の良さを知り尽くしているような顔をするのなんて、甚だおかしいことではありませんか。死者の魂が「あの頃は良かったなぁ……」と生きていた頃を思い返すのならまだしも、生きている人間がやれ生きていることは素晴らしい、生きてさえいればどうにでもなるなどと触れ回るのはおかしい話ではないかとわたくしは思うのです。
この世界は、死をタブーにしすぎです。死んだって何も解決しない、死は救済ではない、生きてさえいれば。何を証拠にそんな言葉を吐くのですか?あなたがたが死の何を知っているというのですか。
わたくしは死を知りませんが、一応、1度は自殺未遂を図った身です。胃洗浄なんかの治療を受けていた最中の記憶は完全に飛んでいますし、実質的には1度死んだような心地です。そんな、死への恐怖が、未知が普通の人よりは薄いわたくしからすれば、死とはそんなに悪いものではありません。いいではありませんか、生が嫌なら死に望みを託してみたって。そりゃあ、周りの人は哀しむでしょうから、そこへのフォローは必要だと思います。けれどそれはまた別の問題です。こんなにも死が排除される理由はないではありませんか。死に目を瞑った上で語る生など、嘘っぽくて価値がないと、わたくしはこの頃思うのです。