ここ数ヶ月、新しい誰かと出会うのは大抵ロリィタかSMを通してなのだけど、どちらも年齢層が高い世界だから年上の人と話す機会が格段に増えた。それも、今まで身近にはいなかったような年上。ついでに言うとバイト先も同僚、お客さん共に年上が多いのだけど、そちらはわたしの思い描いてきた年上像な気がする。
歳をとる毎に派手になると語るロリィタさんや、長年の経験から面白い話をたくさん持っているS&Mさん。彼ら彼女らは話を聞くと結構「普通」に働いたり家庭を持ったりしているけれど、確実に人とは違う部分を持っている。少なくとも今わたしは、ロリィタ愛やSMへの欲求というのは「異常」なものだと考えている。
そんな「異常」なまま生きている年上の人と知り合うと、なんだか数十年先もわたしは生きているような気になれてくる。きっとわたしはまだまだ視野が狭いんだろう。生きるのってもっと簡単なんだろうね。
バイトを始めてから、社会に少し顔向けできるようになった気分。今日も「明日朝からバイトなんですよね」と人に話した時、ドーパミンが放出されたのを感じた。型に嵌ることで安心しているうちはまだまだ生きづらい日々が続くんだろう。
それか型をたくさん知るか。今はこちらの方が可能性がある気がする。例えばわたしは前々から病気のせいでお風呂に入れない自分が惨めで後ろめたかったけれど、先日ネットで「風呂キャンセル界隈」という言葉が話題になっているのを見てからは少し気持ちが収まった。同じような人が沢山いて、それが周知されたことがわたしにとっての救いになった。
お風呂、ほんとにずっと入れてないんだよね。いや、入れてないっていうのは嘘なんだけど、3日以上連続で入ったのはここ10ヶ月くらいない。たまにお風呂に入ると髪がふわふわになってびっくりする。まあ、ブリーチたくさんしてる髪だからそもそも毎日は洗わなくて良さそう、というのはあるけどね。
あでも、お腹すいた時にウーバー使うんじゃなくてスーパーに行ってお惣菜を買うことは割とできるようになったかも。お風呂はきっと体力回復の中でも最後の強敵なんだと思う。今日も一駅分歩いて帰ってきたし、体力は戻ってきている。バイトも始めたし、ちゃんと前進はできてるんだよね。病気で休学してる子が治療に専念してるんだから、何ひとつとして後ろめたいことは無いはずなのに。それでもひっかかるなにか。