令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

暴力的な文学

自傷のつもりで募集をかけたパパ活。30代くらいなら、と思ってやり取りを続けていたけれど、大人2万しか提示しないくせに、ゴム無しがいい、中出しさせて、イラマもさせてとがめつかったのでこれは一旦断っても事ある毎にオプションを受け入れさせようとしてくるなと思って切った。自傷だけど、少しは相手を選びなよって友達が言ってくれたのがずっと頭を回っていた。

自傷やめたいんだけどな。これが無いと生きていけないな。今日も都会に出かけたので、待ち合わせまでの時間でコンタックを買った。免税目当ての外国人観光客で忙しそうなレジは、結構適当に売ってくれる。気がする。

このブログ、思ったより知り合いに見られているんだよね。普段使っているXのアカウントにリンクを貼っているから。最初の頃はリンクを貼ってもあまり気にせず、ここは思ったことを全部ぶちまける場所だったけれど最近はそうでも無くなってきた。見られていることを意識すると、どうしても筆が変わる。

日記はSNSの投稿よりも情報を詰め込める分、自分の日常や友人たちとの関係、恋なんかをコンテンツ化してしまう暴力性を孕んでいる。大切な友人がそれに悩む心を投稿していて、我が身を省みた。

本当は、恋の悩み日常の悩み全部見せずに抱きかかえて、絶対に都合良くコンテンツ化なんてしないようにした方が純な感情を育てられるのだ。知っている。というか、前例がある。前の想い人の時は、親友以外の誰にも恋をしていることすら語らなかった。失恋した時初めて明かしたらみんな驚いていた。だけど純な感情はきっとわたしが抱えるのには向いていない。

純な恋心は純な暴力となって、その純粋さ故に簡単に捨てることもできなくなって、結果こじれてしまう。とてつもない迷惑をかけてしまう。わたしはそれが耐えられない。

だから今回は書いている。話している。既に色んな人に恋バナを聞かせている。だけどこの恋の深い部分は人に明かしていないから。それは大切に胸の奥に抱き抱えているから。許してね。

返信が来なくて辛い時、ただのメンヘラなら追いLINEを重ねるだけだけど、わたしは文章を書くメンヘラなので一旦ブログに思いの丈をぶちまける。それを読むか否かは相手に委ねる。関係ない他者に読まれるのは少し恥ずかしいけれど、まあ、その人たちが100%内容を理解することはないだろうから。

暴力的に文学をやっているなぁ。死後は地獄に落ちるかな。