令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

メンヘラと乙女について

メンヘラが嫌いだ。これはもうずっと前から。最近自覚したけれど、わたしは精神的に問題を抱える人に対してあまり良いイメージを抱いていない、むしろ迫害する意識すら持っているようだ。そんなわたしが今や精神科に通院しているのだから笑える。

メンヘラは嫌いだけど、病弱な女の子は好きだし精神的に不安定な、陰のある乙女に対してはなんて美しい存在なんだろうと思う。ここにある違いはなんなんだろう。そして今のわたしはどちらに属するんだろう。

メンヘラも嫌いだし、病み垢も嫌い。彼女らの周りには性の香りがあるような気がする。昨今の流行りのせいもあるだろうけど、メンヘラはしばしばホストに依存したりして、稼ぐために簡単に体を売る。彼女たちがいくら美しく着飾っていてもわたしはそれを綺麗なものだとは評価できない。

対して、陰のある乙女の場合。これはあくまでもわたしが触れてきたコンテンツから形成された、わたし個人のイメージになってしまうけど、彼女たちだってしばしば体を売る。しかしそれは自傷であることが多い。醜いことをする自分を肯定しないまま、それでもその醜さが自分にはお似合いだと信じている。

ああ、それかもしれない。つまり、わたしの中でメンヘラと乙女との違いは開き直っているか否かなのだ。メンヘラは自分を守るために、自らの行ないを開き直る。徒党を組むべく病み垢を作るし、自分を肯定してくれる他者を求めて依存する。対して乙女は決して開き直らない。自らの醜さに心を痛め、痛め続けて壊れてゆく。

わたしが愛するのはこの壊れゆく姿なのだと思う。それは真摯に自分や世界と向き合い続ける証で、切ないけれどそれすらも美しい。メンヘラにはそのような痛々しさが無い。どちらかというと自らを正当化してばかりでふてぶてしい。

わたしの価値観は危険なものなのだと思う。壊れることを美徳とするならば、わたしもいずれそうなってしまうかもしれない。だからといって開き直って生き続ける道を選べばいいのかというとそうではなくて、そんな醜い生き方はしたくないと思ってしまう。わたしは既に手遅れなのかもしれない。