令和乙女日記

悩める乙女の端書き

ライト商會で話したこと とか

帰省2日目。今日は親友ちゃんを連れ回して喫茶店と古着屋さんとロリィタのショップに行った。久しぶりに訪れた河原町付近はすこしずつお店が変わっていて、わたしが知っている景色からズレていた。だけど今だからこそ知れたお店もあって、今日はそういうお店をたくさん巡れて有意義だった。

特に最後、ライト商會に長居して親友ちゃんと談笑したのが良い時間だった。嶽本野ばら様が好んでいると耳にした喫茶店。どんな内装なのか、全く知らない状態で訪れたのだけど、わたしたちのようなミーハーな若者が訪れることも赦してくれる懐の広いお店でよかった。

わたしたちの通された席からは数冊のジュニアそれいゆが見えた。中原淳一の絵を眺めながら親友ちゃんの悩みやら自己分析やらを聞いていて、ああ、今すごくいいなぁとこっそり思っていた。こうやって俯瞰してしまう時点でだめね。だけど口に出していないからゆるしてほしい。

親友ちゃんは彼氏に対して色々な感情を抱いてしまうことに苦しんでいた。いや、これはどこまで書いていいのかな。曲がりなりにも彼女がわたしにだけ語ってくれたことだから、全貌は明かさずにいたい。というか全貌を書こうとしたら果てしない話になってしまうから不可能だと思うけれど。

結局、なんの属性も付いていないそのままの自分に胸を張れないのが問題なのよなぁという論に至った。これはわたしもそうだなぁと思うし、ただしく恋をするためにはそのままの自分にも胸を張れるようになるべきだと思った。だけどそれってどうしたらいいのでしょうか。

いや、書いていて思ったけれど上記のことはかなりハードルが高くないか?自己肯定感というのはそのままの自分を受容することであって、それに胸を張ることではない。それは自信になってくるけれど、なにもなしの裸の自分に自信を持つなんて無理なことではないでしょうか。

じゃあわたしたちは一体、いや、わたしは一体どこを目指せばいいのでしょう。ただしく恋がしたい。感情を歪ませたくない。

すこし逡巡したけれど、結局自己を受容することでしかないかも。親友ちゃんとの会話は言葉を吟味しなくてもシンパシーで通じ合えるから、大抵根っこは同じようなことで悩んでいるから、雰囲気だけで言葉を発している。だから表現に些細なズレが生じているんだろう。結局わたしたちに必要なのは自己肯定感を高めることであり、自己受容だ。きっと。

で、具体的にはなにをすればいいのかと言うと、わたしの場合は良いブログを書けていると自負することだと思う。わたしは自分のペルソナたちには胸を張れるくせに、ブログを褒められた時だけは「ありがとうございます、書き殴りの駄文も多いんですけどね……」と顔を背けてしまう。たぶんそれは、ここが本当に書き殴りで、ありのままの自分というやつとニアリーイコールくらいの位置にあるからだと思う。自分を受容できていない不器用さがブログを褒められた際にも出ている。

だけどいい加減、ここは良いブログなのだと胸を張ってみてもいいと思うんです。なぜなら褒められる回数が増えたから。ここまで来たら、一件くらいはお世辞じゃない本物の褒め言葉があると思う。その時点で表現としてはきっと成功している。

まあ今日の文も書き殴りだな、美しくないなと思ってしまうのですけれどね。先は長そう。