令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

ははのはなし

父と乳が同じ音なのって不思議。乳は母のものなのに。母って、言いづらくて不思議。ママは赤ちゃんでも言えそうだけど、母ってハードル高い。
今日はわたしの母親について書いてみようと思う。
母親は、優等生な人。というか、優等生であることに価値を見いだしてる人かな。小学生の頃はクラス委員に立候補しなかったら「なんで立候補しなかったんだ」と後から先生に怒られるような立ち位置だったらしい。先生が授業を忘れていたら、職員室に先生を呼びにいくし、先生が「指導」として泣いて職員室に帰ってしまった時は、クラスにいるより楽だからと職員室へ向かったという。親――わたしからすれば祖父母の意向に従って、こっそり塾に通って中学受験を成功させて、中高は私立の女子校へ、大学もその系列校に進学して、文学部史学科へ。古墳が好きな人で、テレビの古墳特集なんかをたまに録画している。
文系女子は就職しづらいのを感じ取って、コンピューター系の資格を必死で取り、システムエンジニアとして就職。その職場で父親と出会って、結婚、のち、30半ばでわたしを出産。3年後に弟を出産。
食べることがストレス発散で、漬物以外はなんでも食べる。こんな人が育てた娘がなぜ、「食べる」という行為を嫌い、毎日完全栄養食のパンでお腹を満たすような人間に育つんだろうと我ながら不思議に思うけれど、きっと食があまりにも母や家庭を象徴していたから、母や家庭を嫌いにならないようにと押し込めた嫌悪が、食へ向いてしまったのだと思う。
わたしがファッション大好きなのに対して、母はあまり容姿にこだわらない。メイクは早く楽にがモットーだし、一応白髪は染めているけれど、イオンモールに入っている、安さが売りの美容室に通う程度だ。お洋服も冴えなくて、お化粧も、時々ファンデーションの厚塗り感がすごかったり、眉毛の描いてます感がすごかったりして、一緒にいるのが恥ずかしい時すらある。髪もボサボサだし、本当に、わたしの母親だとは思えない。
優等生でいたい母親は、とにかく人目を気にする。わたしと一緒に若い子向けのライブに行く時や、弟のお使いでポケモンセンターに行く時なんかは、毎回「設定」を作りたがる。その場に自分がふさわしくないことを過度に気にするし、それをやたらと口にする。こっちとしては、周りはそんなにあなたの事を見ていないよと思う限りだ。
わたしのファッションに関しても、年相応を求めてくる。中学生の時、メイクを覚えたてだったかわいいあの頃のわたしが出かけようとすると「またそんな濃いメイクして」と苦言を呈したし、大学生になった今のわたしには「メイク上手いもんな、すごいな」と言ってくる。親に隠れながら夜な夜なメイク練習をした娘の姿なんてきっと一切想像しておらず、ただ「そういう年齢だから」で受け入れているんだろう。
また、わたしがロリィタファッションに身を包むことをすごく喜んで、一緒に出かけた時なんかは写真を撮らせてと頼んでくるにも関わらず、定期的に「そういう格好は25までだからね」と釘を刺してくる。わたしをなんだと思っているんだ。
きっと、母にとっては子どもを2人産むというのも、教科書通りの生き方を遂行するための、数あるステップのうちの一つに過ぎないんだと思う。ただ世の中の、見えないルールにのっとって生きるだけ。哲学とは真逆の生き方だ。
やっている習い事はヨガと習字。わたしが失恋したことを語った時の反応は「相手がいることだからね」。どこまでも、世間を体現したような女性だ。一人の人間としての独自の価値観や、歪みのようなものがあまり感じられなくて、母と話すと世間の声と戦っているような心地になる。とても虚しい。