令和乙女日記

悩める乙女の端書き

安心できるおともだち

会うことで回復できる友人がいるのって本当に有難い、恵まれたことだ。

夜中に躁入って送っちゃった一通のLINEで母親が飛んできて、参っていた。ただでさえ病院に行けなくて調子が悪いのに。いや、調子が悪いから母親に弱みを晒してしまったんだろうね。普段は調子に乗らせないように上手に自己プロデュースしているのに。

今夜はODコースだなぁと思っていたら友人から連絡が来て、とても救われた。おかげで親が来たダメージは最小限で済んだ気がする。きっとお盆に会えなくて、その上通院失敗やら親の襲来やらでわたしが参っているのを察して声をかけてくれたんだろうな。そういうの、見てくれてるってだけでもとても嬉しいのに会う機会まで設けてくれるから安心して身を委ねられる。

わたしは人と会うと仮面を作りすぎて消耗してしまうタイプだから、消耗しないどころか回復できる存在というのは本当に貴重。仮面を作らずにいられてるんだろうな。そっか、ということはこの人と会ってる時の自分が本来の自分なのかな。

この人と会ってる時の自分。どんな感じだろう。かなり子どもっぽいとは思う。だけど気を遣わないわけではない。言葉を選びながら話している場面もちょこちょこある。

舐められないように頑張らなくていい、というのが1番大きいかも。この人はわたしの考え方や人生をそれなりに好ましく思ってくれていて、わたしを貶すような発言をしたとしてもその根っこには絶対に尊敬があるのが感じられる。要は安心して話せるんだろうね。

不安を膨らませるのが得意なわたしがここまで安心できているのも不思議だなぁ。どうしてこの人は安心できるって認識しているんだろう。

これはブログを書きながらパッと浮かぶものではない気がする。しばらく考えてみようかな。どんな人にならわたしは安心感を抱けるのか。これを把握しておくことは何かの役に立つ、気がする。

 

これ本人にも読まれる可能性があって、そう思うと恥ずかしいな。こんな文章を流してしまう辺り、やっぱり親の襲来は疲れる出来事だったのかも。それを考えないように、昨日遊んだ時間のことを考えている気もする。