令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

理想の引き寄せ

理想の関係と、親との関係の違いについて考えていた。

わたしが今いちばん求めているのはまるで親子のような関係。だけど実際の親とのそれとは違う。むしろ、本物の親との関係には無かったものを求めている。それはひいては安心に繋がり、楽な呼吸にも繋がる。

理想は弱いわたしを認めてくれる関係。そっと見守ってくれて、危ないところへ行きそうになったり悪いことをしそうになった時にはたしなめてくれる関係。頑張ったら褒めてくれるけど、頑張れなくても認めてくれる。ありのままのわたしも、着飾った乙女なわたしも、両方理解していてくれる。

思えば実の親は弱いわたしを認めてくれていない。でもたぶんこれを本人に訴えると否定されるんだと思う。それくらいナチュラルに、弱いわたしは迫害を受けてきた。

あの人たちが認めるのは、なんだかんだで頑張り屋さんで優秀なわたし。その強さゆえに努力が行き過ぎてしまって、弱くなってしまうわたし。そういう弱さだけは認めてもらえる。

最近親からの節約しろという圧が強いのはいい例だ。元気になってあちこち出かけられるようになって、だけどまだ潰れてしまう日もあって、だから出費がどうしてもかさんでしまう今のわたし。体力をお金でカバーしているのだから仕方ないけれど、親はそれを肯定してくれない。明確に仕送りを減らされるだとか、そういうのはないけれど、2回に分けることを提案してきたりして暗に節約しろと言ってくる。ちゃんと暮らせと言ってくる。

弱いわたしも認めてもらえたらいいのに。理想を言うなら「今はお金がかかるのは仕方ないよね、離れて住んでるとこれくらいしかサポートできないし臨時で仕送り増やすよ!」くらいの対応をしてほしい。そうじゃなくてもお金の管理くらい放任してほしい。過保護で反吐が出る。

別にお金が欲しいからこんなことを言ってるんじゃなくて、わたしのダメなところをちょっとも放っておいてくれないことが嫌だ。そのうちおすすめのマッチングアプリでも紹介してくるんじゃないだろうか。

実の親の態度は相変わらず気持ち悪いけれど、その気持ち悪さを言語化できるくらいにはわたしは変われている。それに、少しずつだけど出会う人の質が変わってきたのも感じる。行動した結果、わたしが引き寄せる人が理想に近づいたのではないだろうか。

最近は「嫌」を言う練習もしている。深刻なものではなくて、簡単に切れる関係性の人だったり、軽い事柄だったりに。今まではそういうものにさえ嫌と言えなくて飲み込んでは定期的に爆発して身辺整理をしていたけれど、少しずつ変えられている気がする。