令和乙女日記

悩める乙女の端書き

生きること、好きなのかな

みくのしんさんが本を読む本を読み終えました。(本を読む本って改めて不思議な言葉で面白い)

最初は、あの記事を本に?あれは横書きのオモコロの画面だからウケたもので、それを書籍にするのは違うんじゃない?と思っていた。けど読んでみたら読みやすくて、外から帰ってすぐにこの本に手が伸びていた。本をよく読む人にも、読まない人にも、おすすめです。たぶんこの本ならみくのしんさんも読めるんじゃないかな。読みやすい本を作るぞという気概が伝わってきた。

僕らは本来、生きることが好きなんだ。

「普通」じゃなくて落ち込むことはこれからもあると思うけど、「普通じゃない」を抱きしめて生きていれば、と思います。多分、そうすればいいことある気がするんだ。

こんな文章が不意に出てきて、思わず泣いてしまった。引用だとどうしても重みが減ってしまうけど。感受性豊かに読書をするみくのしんさんにこう言われたら、ついこちらも感受性豊かに受け取ってしまう。

生きること、確かに好きなのかもしれない。生きていたくないと散々呟くくせに結局生きているから。死のうとしてからも1年くらい経ったし。

実は昨日、色々あって母が来て、かなりしんどかったけれど友達と会えるってなったから勇気を出して母が家にいる中で支度をして。22時頃に家を出て、そのままお泊まりしてさっき帰ってきた。このあと10時(あと1時間くらい)にはまた母が来るのに。

前だったら母の目を恐れて、友達からの呼び出しも即座に断っていたと思う。だけど少しずつ自分のペースで生きるということをやれるようになってきていて、自分の人生を生き始めていて、そうすると楽しくなってきた。こんなことを言うのは恥ずかしささえあるけれど、生きるのが少し楽しい。

前までは食べることにも興味はなかったけど、最近は少しずつ、色んな美味しいものを食べてみたいなって気持ちが湧いている。

ずっと親の意思ばかり気にして生きていたんだろうね。それが、少しずつだけど、自分のことを見て生きてあげられるようになってきた。母が家に居ても自分の世界を優先できるくらいには。わたしが嫌だったのは借り物の人生を生きることで、なにも生きることそのものが嫌いなわけではなかったのかもしれない。

人生をちゃんとやるってなったらそれはそれで不安が増すんだけどね。最悪死ねばいいかという思考で生きることはある意味最強で、生きてるだけでえらいを地で行ける思考だから。それを手放すのは怖い。

不安とかも、そのうち和らいでいけるのかな。親の目を気にせずに生きられるようになったなら、少しは消えると思うんだけど。でもなんか全然そんな未来が浮かばない。そんなのわたしじゃないような気すらする。

もうすこし柔らかく生きていけたらいいね。