令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

刑務所に入れてないから

これは自傷のような気がする。体がエラーを出し始めているのをなんとなく感じながらわたしはそれを無視する。だって罰を受けなければならないから。

こんなことしたって償いにはならないけど、刑務所にも入れていないわたしは私刑を実行することでしか罰が受けられない。

治療は償いになる?そんな都合のいい話、あるわけない。

安心が欲しいって気持ちもある。ずっと安心できる場所を求めて歩いてきて、ようやくそれを掴みかけたのに離れるなんて無理。だからあれこれ理由をつけてここに居座る。

ずっと道に迷っている。東京に辿り着いてからずっと。もうわたしはわたしの人生に満足しているのに、心はとっくに死んでいるのに人生だけが続いている。色んなお薬を飲んで無理やり延命している。意識を鈍らせながら遂行する人生になんの価値があるんだろうか。

他の人に依存してしまえば楽になりそうなものなのに、あの人のことを考えることが増えた。会いたいとすら思ってしまう。やっぱり死ぬべきだろうか。

わたしの中にいる化け物を制御しきれる自信がちっともない。だから何度も自害を考える。この部屋にある縄のことを考える。元気な時には生きていくための要素をかき集めているけれど、一度気分が反転してしまえばそんなのはほとんど意味を為さない。終わらせなければという使命感は何にも勝る。

死にたいという気持ちは曖昧だ。わたしの場合、たぶんそれのみでは死ねない。だけど死んだ方が周りのためになるとか、死ななければならないとか、そういう思考が混じってくれば死ねる。今は死ねるだろうか。ちょっと15分くらい脳みそを働かせないようにすれば首くらい吊れる。

頓服を飲んだ方がいいな。何を飲もうか。寝るべきか、寝ざるべきか。次の予約の日も近いことだし、両方混ぜて飲んでみようか。

新しいお薬を買ったり、やったことない飲み方を知ったりするとわくわくする。たぶん、わたしはお酒にもハマるタイプだと思う。

あーそっか、お酒を飲めるようになったらODと似たようなことが人目をはばからずに出来るんだ。近所のバーにも行ってみたいな。誕生日まではなんとか生きてみようかな。

体力無いけど文は書ける

散歩した。アーバンギャルドドレスコーズ毛皮のマリーズの曲を適当にピックアップしたプレイリストをランダム再生して、近所の通ったことのない道を歩いた。陽射しは強く、既に日傘無しでは歩けない世界になっている。

音楽を聴くのは散歩が1番適しているなと思う。次点で電車。家の中でも聴けるけれど、どうしても違う何かに手が伸びてしまって片手間になってしまう。歌詞まで聞き取るには散歩が1番だ。

お天気もいいし、楽しかったけれどすぐに疲れてしまった。京都にいた頃は1,2時間平気で散歩できていたのにな。まあ、数日前にロッキンホースバレリーナで歩き回った疲れが残っているのも理由だったかもしれない。木製の厚底だから、未だに足がやや痛い。

ODを処方薬に置き換えるのは割と好調。今もルーランを入れている。あと単に、仕送り前でお金が無いのもある。市販薬でのODは高いから、ちょっと落ち着かないくらいなら処方薬で済ませた方が遥かに経済的だ。自立支援医療万歳。

昨夜、Xのスペースで人と話していたら思いのほか盛り上がって、嬉しい言葉ももらえて新鮮だった。会話を回すのが上手いと言われた。こんなの初めて。どちらかと言えば大人数での会話は黙りこくってしまう方だったのに。

一対一で話すのはだいぶ上手くなってきた気がする。初対面の人と話す場面もそんなに怖くなくなった。これは不安障害的にも良い傾向。

前の想い人がおしゃべり上手な人で、色々学びがあったのもあるし、好きなラジオのパーソナリティーさんがいるのも大きいと思う。そんなに頻繁に聞くわけではないけれど、ミュージックラインというNHK-FMの番組のパーソナリティーを務めている南波志帆さんが昔からすきで、こんな話し方ができたらなぁと思っている節がある。

チャーミングで、語彙力あって、相手に合わせて話し方を変えてアーティストさんの魅力を引き出す、ラジオパーソナリティーの鑑のような人なのだ。声も素敵だし、「かっけー」「エモい」といった若者言葉をわざと使っている風なのも素敵。わたしもああなりたい。

あとスペース内で言語化能力の高さも褒められた。やったあ。自分ではあんまり意識していないけれど、これはたまに言われる。こんな書き殴りのブログを読んでくださる人が一定数いることを思っても、ひょっとしてわたしは言葉の扱いが上手いんじゃないか?とたまに自惚れる。

というか本当に意識していないから、特技ってやつなんだろうなと思う。たまに言うじゃない、周りに対して「なんでできないんだろう」と思うことが貴方の特技だって。

SMと脱出ゲーム

昨日はSM界隈のリアル脱出ゲームオフ会に参加してきた。新宿のカフェで待ち合わせて、リアル脱出ゲームに6人チームで参加。その後キットを買って、レンタルルームで遊んで少し歓談して、飲み屋さんに移動してまた歓談。結局10時間くらいの長丁場になっていて、我ながらよく体力が持ったなと思う。

元々、最後の飲み会への参加は迷っていた。人として合わなくて空気感が最悪だった場合、謎解きという課題があればなんとかやり過ごせるだろうけど会話オンリーになったらきついだろうなと思っていたから。だけど行ってみたら楽しく話せて、途中で抜ける人もいる中最後まで残っていられた。

そもそも品田遊さんの影響で謎解きへの興味が増していた折でもあった。彼が謎解きに参加していたり、自分でも苦労しながら制作していたりするのをウロマガで読む度に興味は膨らんだ。

さらに言えば、SM界隈でもっと動いていきたいという思いもあった。色んな人の姿を見ることで性への嫌悪感が薄まって、性への矢印が強い自分を受容できるようになるかなと期待して。

結果としてどちらも上手くいった。謎解きは楽しくて、今度は個人的に行ってもいいかもなと思ったし、SMに対する解像度も上がった。前までは性に関することは日常生活から完全に切り離していたけれど、今回のオフ会の話をリア友にしても問題なく話せるかもと思うくらいには意識が変わった。

わたしはたぶん性依存症で、そのことは抱える問題の中でも特に根深いものになっているんだと思う。だけどこんな話題、主治医にもカウンセラーさんにも言いづらいし、かと言って専門でやってる機関もまだまだ少ない。一度だけ、性依存症の治療を主にやっている病院を探してみたことがあったのだけど「どうしても痴漢してしまう」とか「盗撮がやめられない」といった、社会的に問題のある人を主に相手にしていそうで、わたしのような個人的な悩みはまだまだ治療システムができていないように見えた。

だからもう自分でどうにかしていくしかないと思って、それでSMの世界を知ろうとしている節が大いにある。要するにこれは趣味や嗜好をもはや超えていて、治療なのだ。知ることで抵抗が和らげば万々歳だし、そうじゃなくても知れば新しい道が見えてくるかもしれない。わたしも入れるような隙間がどこかにあるかもしれない。

このブログだって書くことが治療になっている感覚があるし、そう思うとわたしは十分治療に専念して休学を全うしているなぁと思ったりもする。遊び回っているな、仕送りで不労所得を手に入れていいご身分だなと自分が嫌になることもあるけれど、意外とそうでもないのかもしれない。

市販薬⇒処方薬

前までの主治医が産休に入って主治医が変わった。怯えながら1時間遅れで病院に行き、受付の人に軽く注意されながら診察を受けたのが一昨日のこと。

診察はとても丁寧だった。そういえば主治医も前はこんな感じだったかもしれない。最近はプライベートが忙しくて手薄になっていたのかもなとふと感じた。

元々、年明けくらいから市販の鎮静剤を使っていたのでそれを処方薬に置き換えられないかと相談するつもりで診察室に入って、あれこれ相談した結果、前まで飲んでいた寝てしまう頓服クエチアピンと別に、眠くならないかもしれない頓服ルーランを出してもらった。クエチアピンは市販の鎮静剤の、ルーランは風邪薬でのODの代わりになるかもしれないと期待しての処方。

なのだけど、実際に使ってみているところ、用途が逆転している。クエチアピンは眠くならないけど頭がふわふわするし、逆にルーランはただ眠くなる。眠気に耐えてその先のふわふわ感を楽しむという意味ではウット辺りと近いかもしれないけど、頭がふわふわするというよりは眠気で無理やり頭にモヤをかけられてるイメージ。なんでだろう。クエチアピンに耐性がついたんだろうか?

当初の予定とは違うけれど、市販薬でODしていたのを少しでも処方薬に置き換えられているのは進歩だ。世の中に迷惑をかけずに済むし、何よりもお財布に優しい!貴重な仕送りを薬にばかり使って虚しくなることも減るかもしれない。

処方薬での置き換えがこのまま続くかは分からない。結局ODの方がきちんとふわふわできる気がするし、苦しい時はそっちを使う可能性が高い。だけど少しでも置き換えていきたいなと思う。

「病院行け」の暴力性について

好きな作家さんが「病院行け」という言葉の暴力性について語ってくれていて救われた。有料記事なので詳しく書くことはしないけれど、渦中のnoteを読んでの発言だった。「病院行け」という言葉は自分を善人にしたまま、相手への嫌悪感や関わりたくなさを表明できてしまう言葉だと、フェアじゃない言動だと書いてくれていて抱えていたモヤモヤが溶けた。

これはわたしの勝手な要約だから、もしかすると本人の伝えたいこととは微妙にズレているかもしれない。気になる人は品田遊さんのウロマガに登録して2024年4月9日の日記を読んでください。

何かしらの認知の歪みを抱えた人に対して、病院に行くよう勧めるのはベターではある。わたしも言われたことがある。だけどそこにはあまりにも自己責任主義が現れていないだろうか。

わたしは常々、ONEPIECEのルフィみたいな人に強引に人生を変えてもらえれば楽なのになぁと考える。病院やカウンセラーさんも結局は商売だから、あの場に行かないと助けてくれないのだ。医療という枠を超えてまで、わたしという一個人の人生を改善しようと試みてくれることはない。だって向こうも人間で、向こうにも人生があるのだから。

それが時折虚しくなる。精神科のお医者さまとは信頼関係が大事だけど、こんなメタ視点を持ってる捻くれ者には難しい話だ。結局、お薬だけがわたしを救ってくれる。

話がやや逸れた。

「病院行け」と言う人みんなが悪人だとは思わない。善意による言葉の場合もあるだろう。自分にはどうすることもできないし、素人が下手に介入したところで悪化させるだけだと弁えた上での優しい拒絶なのかもしれない。だけどそうやって身近な狂人を排除し続けた先には何があるんだろうか。そこにあるのはとても窮屈な世界じゃないだろうか。

あと、病院は魔法の施設じゃない。多くの場合精神病は簡単には治らないし、再発もする。だから精神科及び心療内科はいつも予約でいっぱいなのだ。それがもっと知られればなぁと思う。わたしも当事者になるまでは知らなかったし。

苦しいな。こっちだって自分がおかしいのは分かってるよ。自分を律し続けないと、いつか周りに取り返しのつかない迷惑をかけてしまうんじゃないかと常々怯えている。自分の奥底には化け物が潜んでいることを、わたしが一番知っている。だけどどうすればいいって言うんだ。病院に行っても簡単には治らないし、周りを頼れる強さは無いし、理解のある彼くんもいないし、自殺したとて後処理で人に迷惑をかけてしまう。壊れている人間はどの隙間に埋まればいいんだ。誰か教えてよ。

潰れちゃだめ

ここ1ヶ月くらい割と予定が埋まりだしていて、もちろんそれは自分の意思で入れたものなのだけど、出かけた反動で潰れる日が何度かあった。だけど今回の反動はそのどれよりも大きい。実家に帰った時よりも、家族旅行から帰ってからのここ数日の方が。

しばらくしていなかった、OD以外の自傷をたくさんした。跡が残るほどではないけどリスカをしたし、腕や指を噛んだし、自分で首を絞めた。引っ越す前はこういうことを日常的にしていた。

潰れてしまうと理性を感情が上回る。やってはいけないことをしそうになる。自死も繰り返し頭をよぎる。これはひたすら休むべきだなと頭ではわかっているけれど、薬無しに休むことが叶わない。ベッドに横たわっても落ち着かず、かといって動画や音楽のような情報は拒絶してしまって、どう時間を潰せばいいのか分からない。大人になればこういう時にお酒を飲むんだろうか。

負荷のかかる予定を入れたとしても、その後に休む日を作っておけば問題ないと思っていたけれど間違いだった。ある程度までの疲れはいいけれど、極端に負荷をかけて潰れるべきではない。ぼんやりとYouTubeを見て1日を過ごすことで癒えないような疲れはわたしには向いていない。

昨日は久しぶりにドタキャンをした。申し訳なかったな。昨日くらいには多少調子が戻ってる計算だったけど違った。

自己中心的になるな

罰を受けなくては。こんなことを人目につくところに書いている卑しさも含めて、わたしは罰を受けなければならない。大切な人に迷惑をかけ続け、相手ができる限りの方法で拒絶を示してもなお縋ってしまう。他者の余裕のなさを知りながら、自分の人生の責任を関係のない他者に取らせようとしている。自分の手に負えないからって弱ぶって救いを求めている。大人しく入院でもして治療すればいいのに、実家に帰ればいいのに、綺麗なお洋服が着られないのは嫌だからと頑なに一人暮らしを続けている。傲慢。

働かず、何かと言い訳をつけては仕送りを強請り、高価な服を買ってなお日々が苦しいと抜かす。家にある縄を捨てる勇気すらない。

罰を受けたいのなら剃刀でもカッターでも使って体を切りつければいいのに、それは怖いからと市販薬に逃げる。浪費して、本当に薬が必要な人の分を無駄遣いしてそれでもなお苦しいとほざく。散々ぬるま湯に浸かっているのにまだ外が怖いと怯え、そのくせ楽しいイベントにはちゃっかり申し込む。

一人でなんとかしなくては。大切なあの人を頼ってはいけない。絶対に。実際に行動に移すことを我慢していたとて、精神的に頼っている時点でもう罪なのだ。それを本質的には理解していない。彼に対して自己中心的に甘えることの罪の重さを分かっていない。これはこの世のどんな罪よりも重いというのに。それならば未成年飲酒でもしている方がまだマシだ。

死ねないならば治療しなくてはならない。甘えていてはいけない。誰も助けてはくれないし、救いを嘆願してもいけない。一人でなんとかする。死ねないのならば。