令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)が好きという話

品田遊が好きだ。はじめに彼を知ったのは、ダ・ヴィンチ・恐山名義で、ARuFaと共に発信しているwebラジオの「匿名ラジオ」だった。人に勧められて漫然と匿名ラジオを聞いていた当初は、”ARuFaと話してる、なんか仮面のインテリっぽい人”くらいの認識だった。元々ARuFaのほうは知っていたので、恐山はどちらかといえばおまけだった。

それが変化したのは今年の7月半ば。自殺に失敗して京都のホテルに返送されたわたしは、やることもなければ同室の母親に意識を向けることも苦痛でひたすらに電子書籍を読み漁っていた。その時にふと思い立って品田遊の書籍を一通り読んだのだった。ちなみにこの時には、おなじくオモコロで活躍している雨穴の「変な家」「変な絵」も読んだ。未遂直後でとにかくナイーブだったから、普段は読まないような本ばかりをあえて選んでいた気がする。

このとき読んだ「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」がとても面白かった。ざっくり内容を説明すると、元々品田遊がnoteで連載していた日記をまとめ、加筆修正その他編集を加えて書籍化したというものなのだが、これまでは匿名ラジオの片割れとしか認識していなかった彼の頭の中をのぞいて軽く衝撃を受けた。え、面白いじゃん。である。

とかく世界への解像度が高いのだ。また、思考の発展の仕方が面白い。日常の何気ない光景から、世界の仕組みに思いを馳せていることが度々ある。たしかどこかの章で、この世のすべての事象は世界に元々ある原理の具体例に過ぎないと思っているだとかそんなことも書いていたから、本人にとってはこれが当たり前なんだろうなと感じる。それはなんとも哲学者的で、わたしももっと思考を巡らせねばなと思わされる。

この「キリンに雷が落ちてどうする(以下略)」がとにかくお気に入りになってしまって、紙の本も欲しいななんて思っていた矢先、高円寺の小さな本屋さんで本当に偶然見つけたものだから即刻求めた。本屋さんでは2冊くらい平積みしてあって、「うちではなぜかよく売れます」というpopが貼ってあった。同じようなお客さんが多いのかもしれない。高円寺は古着と本があふれていて夢みたいな町だったなあ。また行きたい。

電子で読んでいた時は気が付かなかったけれど、実際の書籍はかなり分厚かった。だけれど紙は薄っぺらくてざらざらしたやつ(週刊ジャンプのそれに似ていた)で、どことなく聖書っぽかった。そして紙版でも読み返して、昨日また読み終えた。何度読んでも面白い。

この本から品田遊にはまったわけだけど、それ以外ももちろん好きだ。X(Twitter)も、noteのウロマガも見ている。別に推しとかそんなのではないけど、ウロマガで話題に上がったゲームやら展示なんかには自分でも手を伸ばしてみることもある。こういう、著名人から影響を受けるみたいなのは久しぶりで楽しい。

どこで聞いたか詳細は忘れてしまったけれど(たぶん匿名ラジオ)、この人が話していた、「死ぬのがすごく嫌だ」という話に衝撃を受けた。あ、思い出した、匿名ラジオの死ぬより嫌なことをあげようって回だ。それまではなんとなく、この人は死にたがってる、生きづらい側の人間だと確信めいたものを抱えていたから、死のイヤさを熱弁する姿に驚いた。最近のわたしはどうも、死に魅力を見出さない人のことが気になってしまう。自分にない価値観で、なおかつ自分が欲しい価値観だからなんだろうな。

そこで語られていたのは、死んだ後どうなるか分からないのが怖いという話だった。はずだ。違ったらにわか丸出しで恥ずかしいな。

これを聞いたのは少し前で、そのときは「ふーん、いろんな人がいるんだなあ」くらいにしか思っていなかったのだけど、最近になってこれが響いてきた。確かに、現世でのことはまだまだ謎も多いとはいえ情報が有り余るほどあるけれど、死後に関しては無だ。わたしはずっと、死んだら無に還るという点だけは信じて疑わなかったけれど、これって完全に科学に支配された時代が生み出した一つの思想に過ぎないよね。どうしよう、ほんとうに天国が実在したら。そんなところに自殺者として乗り込んでしまったら死ぬほど肩身が狭いんじゃなかろうか。もう死ねないのに。

品田遊の話からだいぶ逸れてしまった。まあとにかく、こんな感じでわたしにない面白い思考を持っているから最近は品田遊がお気に入りだ。オモコロチャンネルの動画とか、暇人ニートにとっては宝の山だし。

あとここまで書いておいてなんだけど、彼自身はファンというものが苦手なタイプらしい、というのもわかってはいる。だからもし本人がこの記事を発見したなら微妙な気持ちになるんだろうなと思いつつも、ネットの海にこんな文章を放流してしまう。わたしのこういう自分本位なところって何度か取り返しのつかない事態を招いているけど、修正すべきなのかしら。でも人間らしいといえばそんな気もするしなあ。

 

 

今日の文章、いつもならスマホで書いているところを趣向を変えて大学用に求めたノーパソで書いているのだけど、内容に違いが出たりはしてるのかな。後で読み返してみよう。休学してしまったものだから、たまにゲームをする以外でパソコンが全く活躍していない。両親ともに元SEで、弟は中学生のころにもうゲーミングパソコンを親にねだっていたのにね。いい加減パソコンに慣れていきたいな。