令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

「病院行け」の暴力性について

好きな作家さんが「病院行け」という言葉の暴力性について語ってくれていて救われた。有料記事なので詳しく書くことはしないけれど、渦中のnoteを読んでの発言だった。「病院行け」という言葉は自分を善人にしたまま、相手への嫌悪感や関わりたくなさを表明できてしまう言葉だと、フェアじゃない言動だと書いてくれていて抱えていたモヤモヤが溶けた。

これはわたしの勝手な要約だから、もしかすると本人の伝えたいこととは微妙にズレているかもしれない。気になる人は品田遊さんのウロマガに登録して2024年4月9日の日記を読んでください。

何かしらの認知の歪みを抱えた人に対して、病院に行くよう勧めるのはベターではある。わたしも言われたことがある。だけどそこにはあまりにも自己責任主義が現れていないだろうか。

わたしは常々、ONEPIECEのルフィみたいな人に強引に人生を変えてもらえれば楽なのになぁと考える。病院やカウンセラーさんも結局は商売だから、あの場に行かないと助けてくれないのだ。医療という枠を超えてまで、わたしという一個人の人生を改善しようと試みてくれることはない。だって向こうも人間で、向こうにも人生があるのだから。

それが時折虚しくなる。精神科のお医者さまとは信頼関係が大事だけど、こんなメタ視点を持ってる捻くれ者には難しい話だ。結局、お薬だけがわたしを救ってくれる。

話がやや逸れた。

「病院行け」と言う人みんなが悪人だとは思わない。善意による言葉の場合もあるだろう。自分にはどうすることもできないし、素人が下手に介入したところで悪化させるだけだと弁えた上での優しい拒絶なのかもしれない。だけどそうやって身近な狂人を排除し続けた先には何があるんだろうか。そこにあるのはとても窮屈な世界じゃないだろうか。

あと、病院は魔法の施設じゃない。多くの場合精神病は簡単には治らないし、再発もする。だから精神科及び心療内科はいつも予約でいっぱいなのだ。それがもっと知られればなぁと思う。わたしも当事者になるまでは知らなかったし。

苦しいな。こっちだって自分がおかしいのは分かってるよ。自分を律し続けないと、いつか周りに取り返しのつかない迷惑をかけてしまうんじゃないかと常々怯えている。自分の奥底には化け物が潜んでいることを、わたしが一番知っている。だけどどうすればいいって言うんだ。病院に行っても簡単には治らないし、周りを頼れる強さは無いし、理解のある彼くんもいないし、自殺したとて後処理で人に迷惑をかけてしまう。壊れている人間はどの隙間に埋まればいいんだ。誰か教えてよ。