令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

恋愛中心の人生

ここ1ヶ月くらい、人の恋愛観に触れる機会が多い。出会いを求めている最中だから当然と言えば当然なのだけれど。

LGBTQに伴って、SOGI(で合ってるのかな)が脚光を浴び、「自分はデミロマンティックに近いんだよね」「サピオセクシャルなの」みたいな会話をしやすくなったのはいいことだなぁと思う。わたし自身はまだ自分のことをあまり分かってないし、用語もきちんとは覚えていないからあまり使えていないけれど。

前からちらほら書いているけれど、わたしは恋愛体質で、恋愛依存症に近いなと思う。世の中にはこんなに恋愛感情を重視しない人もたくさんいるんだなぁってことがだんだん分かってきた。

わたしにとって、恋をしない人生というのは有り得ない。いつだって誰かしら生活の中心になっている男性がいるし、その人が生きる活力となり、さまざまな努力を後押しし、わたしが「善く生きる」ための源となっている。今死なずに治療に励んでいるのも、あの日に想い人が治療しろと言ったからだし、治療しないとまたあの人に迷惑をかけてしまうことが分かっているからだ。あんまりこういう言い方はしたくないけど端的に言ってしまうと、あの人のために生きている。

嶽本野ばら様もかなり恋愛を大切にしている人だと見受けられるのだけど、野ばら様が書かれた「恋愛の国のアリス」という本がわたしは好きだ。恋愛に関する野ばら様のさまざまな意見が詰まった本で、かなり偏っているけれどその偏りが心地好い。歪んでいるわたしのことを肯定してもらえる気分になる。

わたしは恋をした相手にしか弱みを見せられない。みんなはそんなことないんだろうか。いくら気の合う親友でも、心の奥底の本当に脆い部分は見せられない。一緒にいる時に泣くなんて以ての外。だから時折、わたしが持っているのは本当の友情ではないんじゃないかという気になる。

普通なんてないのは分かってるけど、それでも普通が気になる。普通はみんなどうなの?もっと上手に心の脆さを見せてコミュニケーションできているのかな。わたしはそれが絶対にできない。できないけれど、それはなんだか乙女的で素敵だなと思いもする。