令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

救世主よ死なないで

ワンピースFILMREDをかれこれ3回ほど見ている。最後に見たのは数ヶ月前。応援上映に参加した。

烏滸がましいことかもしれないが、わたしはウタに自分を重ねてしまう。もうネタバレがどうこうという時期でも無いだろうから書いてしまうけれど、ウタは家族、特に親との悲しい過去が原因で不安定な心を持っている。そして、きっとすごく純粋で優しい子だから、ファンから集められた声を受けて、救世主になろうと決意してしまう。もちろんこれはかなり大雑把な説明で、本当はもっと細な心の揺らぎがあるのだけど、それを説明しだすともうFILMRED自体の説明になってしまうので割愛。

いつからか忘れてしまったけど、自己分析を進めてきたこの数ヶ月間で、わたしは自分が「救世主型」の人間なんじゃないかと思うようになった。きっかけはなんだったかな。わたしが共感する人物やキャラクターは揃って救世主なのだ。イエスに近い。全員が全員、世界そのものを救う訳では無いけれど、誰かの道標になっている。わたしもいつかそれに近いものになるんじゃないかとこの頃は感じている。まあ、生きていけたらの話だけど。

ウタも言わずもがな救世主で、それでいて大きな孤独や寂しさを抱えているところはわたしによく似ていて、わたしは彼女に自分を重ね合わせながら映画を観進めてしまう。でも、映画を見たことがある人なら分かると思うけれど、彼女は悲しい結末を辿ってしまうのだ。一応ぼかされてはいるけれど、おそらく亡くなっている。「わたしが消え去っても歌は響き続ける」なんて歌っているし。

 

救世主型によくあるんだけど、いい結末を辿っていることがかなり少ない。物語的に、そういう力の強すぎるキャラクターは大活躍した後で表舞台から消さないと後々大変というのもあるんだろうけど、それは分かるけど、でも安易に死なせるのはずるくないかと思う。だってわたしは生きていかなくちゃならないんだもの。

自分に似た彼女たちに感銘を受けて、ああわたしもこうやって生きたなら居場所が見つかるのかもしれない、少しは生きる理由が生まれるのかもしれないと思って希望を持ってもすぐに突き落とされてしまう。結局わたしのような人間は死ぬしかないのか、と思わされる。わかるよ。死って美しいもんね。救世主がどんどん老いて醜くなってただの狂人に成り果てるところなんて誰も見たくないし、それなら一番輝いた瞬間に死なせることで伝説にしたいよね。イエス・キリストだって最後は処刑されたものね。彼は復活してくれるけど。

 

そういう意味ではわたしの敬愛する作家、嶽本野ばら様の存在は本当に救いになる。野ばら様は「それいぬ」の中で、「嗚呼、春の病を持つ人よ。僕は病に苦しむ君の蒼白さと真っ赤な喀血を愛しております。(中略)決して僕は君を見限りやしません。」と書かれているくらい、分かりやすく救世主型。似たような発言を何度もしてくださっているし、それにわたしは本当に救われている。

でもこの人は死んでいない。し、おそらくは寿命まで生きてくれると思う。野ばら様の作品は本人の経験がかなりベースになっているものばかりで、主人公も作家であることがほとんどなのだけれど、最近の作品を読むと明らかに明るい。大麻で捕まったり、破産しかけたり、周りを巻き込んでとにかくしっちゃかめっちゃかに生きているけれど、ものすごく生を謳歌しているのが作品に表れている。

わたしもこんな風にいつかなれたらいいなと思いつつ、でも快楽主義者じゃないしなぁと思って、結局病みながら無理やり生き続ける今日この頃。

死なない救世主型のロールモデル、もしいたら教えてください。

 

追記

X(Twitter)のアカウントとここを連携させてみました。まあ普通に病み垢として使っているアカウントなので、見苦しいかもしれませんが。もし良ければ遊びに来てください。