令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

辻褄

急にいろいろな辻褄が合い始めていて、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思ってしまう。わたしはあの日死ぬべきだったのに。のうのうと生き延びてしまったのに。

だけど頑張って生き延びてきたのだ。過小評価してしまうけれど、生きるためにかなり頑張ってきた。何冊本を読んだ?何人と出会った?泣いて過ごした夜は何回?どうしようもなく孤独な日もあったよね。何度もまた死ぬことを考えて、高いビルやマンションを見上げながら歩いて、そんな日々がようやく実を結びつつあるのだから、これはわたしが自分の手で手にしたものなんだよ。ようやく生きていけるね。

まだ不安もたくさんあるけれど、生きていく理由をかき集められてきた。大丈夫、頑張れてるよ。むしろ1年でここまで回復できてしまうなんて、わたしは生きる才能があるんじゃない?

小説を書きたいな。今ならあの人との日々以外も綴れるような気がする。ブログを書き殴ることは簡単だけど、小説を紡ぐのはなかなか骨が折れる。だからこそもし作品が出来上がったらそれは宝物になるような気がしていて、短編でもいいから手を出したいな。こんな時にも完璧主義が顔を出しているんだろう。とりあえず無理やりに締切を設定してみようか。1ヶ月後なんてどうだろう。

悲しまずに誰かのことや、遊んだ思い出を浮かべながら過ごせる1日はとても久しぶり。わたしはこれが好きだった。本を読んだり動画を見たりしてもふとした瞬間に幸せな空気が頭に広がって、それに浸っているだけで時間が過ぎてしまう。わたしにとって幸せってこれかもしれない。

昨日も今日も、安心できる時間が持てて、なんて嬉しいんだろう。今日の帰り道、今ここで刺されて死んでしまえたなら至上の人生なのにと本気で考えた。結局生きているけれど、もっと幸せなことって待っているんだろうか。だとしたらとても嬉しいな。

嶽本野ばら様が『タイマ』で書かれていた「辻褄が合う」という表現が好きで。冒頭でも勝手に使ってみたのだけど。

曰く、どんな人生でも生きていれば全ての辻褄が合う瞬間が来るらしい。自殺をすれば無理やり辻褄は合わせられてしまうけど、そうでない形もある。だから生き抜くのは大切なんだよって。その考え方はなんとなく響いていて、わたしもそんな風に全部の辻褄が合う日のために生きてみようかなと思えている。そんな日は近いかもしれない。