令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

プリンセスと動物たち

ディズニープリンセスの映画を観ている。昨日はシンデレラ、今日は白雪姫。小さい頃、家にディズニープリンセスの小さな絵本のシリーズが揃えてあったからお話自体は知っていたけれど、実際に映画を観てみるとイメージと全然違っていて驚いた。アニメーションの良さを探究しているな、という感じ。そりゃ名作にもなるし、ディズニーがこれだけ世界から支持されるブランドにもなるなと感心した。
ディズニープリンセスたちは大抵動物と会話ができる。このプリンセスあるあるは、シュガーラッシュ2でも触れられていたような気がする。意地悪な継母がいる、とかね。
わたしはずっと、この動物とお話できる、というのはプリンセスの優しさを表現するための技なんだと思っていた。でも、それだけじゃないのかもしれない。動物が感情豊かに動くというのはアニメーションならではだ。訓練された犬なんかはともかく、実写の映像作品では動物たちが力を合わせて何かをする、といった描写はできない。当時はCGもなかっただろうし、動物の動きがシーンのメインになる、というのはアニメーションならではの技法だっただろう。それを生かすために、プリンセス達は動物と話せるようになったのではないだろうか。
また、この「動物と話す」というプリンセスの特権は、本当にわたし達には真似できない、ファンタジーだけのものなんだろうかとも考えた。わたしはお姫さまに憧れているから。
まあ科学的に考えて、プリンセス達が作品内でしているように、自由自在に動物のお友達とお話することは無理だ。けれど、この「動物と話す」というのは感受性が豊かであることの暗喩ではないだろうか?
究極的に感受性が豊かであれば、動物の些細な動きや表情から彼らの考えを読み取ることだって可能かもしれない。また、それは究極的な話だとしても、本やアニメ、音楽などに深く感動し、それらに助けられながら日々を生きていればそれはもう、動物たちとお話しながら暮らすプリンセスと同じではないだろうか。
実際に目にすることで、ディズニー作品が名作とされる所以がわかった。百聞は一見にしかずというやつだ。この調子で、わたしの目指すお姫さま像をもっと固めていこう。