令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

わたくしはもう一生「普通」にはなれないのだろうかとふとした時に思います。ある程度の覚悟はしているけれど、それでも怖いものは怖い。これから先ずっと寂しいまま、孤独なまま、寒いままだなんて。一晩肌を重ねる相手を探すことくらい、今のわたくしにとっては造作もありません。でもそういうことではないのです。優しさとは、理解すること。誰かにわたくしを理解してほしいのに、その誰かはもういません。どこにもいません。金輪際、現れることもないかもしれません。
いっそ死ねていたなら良かったのに。きっと本当は死ぬべきだったのです。わたくしはここにいてはならない存在だったのです。だけどもう、自決することも叶わない。生きる理由を見つけてしまったから。生への執着を手にしてしまったから。
これは善いことなのでしょうか。お医者様はきっと、良いことだとおっしゃるでしょう。だけどわたくしはどうも間違っている気がするのです。たとえば、この世で最も大切な人の、大切な相手を傷つけたわたくしは死ぬべきなのではないでしょうか。せめて死ぬことで罪を償うべきなのではないでしょうか。なのにわたくしは、別に刑務所に入る訳でもなく今日ものうのうと生きています。神様から見放されたのに、死ぬ訳でもなく、ただずっと1人で歩くだけ。それともこれが地獄?これが償いになるのですか?
寂しい。ずっと淋しい。どんなに周りに人が集まっても、褒められても、長電話をしても、根本的に何かが埋まらない。わたくしはずっと氷の中に閉じ込められたまま。淋しくて辛くて冷たくて、こわい。
早く誰か迎えにきて。