令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

受験について 前

今夜は受験についてすこし考えてみる。
わたしの持っている受験へのイメージは、たぶんちょっぴり特殊。これまでに経験した受験といえば、中学受験と、大学受験で、大学受験は公募制推薦しか受けていない。まあいるんだろうけど、この時点で特殊。さらに言えば、わたしは周りが受験をする流れに沿って自分もなんとなく受験、というのを経験したことがない。また、受験に落ちたこともない。はじめに少しわたしの経歴を書いてみた方がいいかも。
幼稚園は割愛。小学校は地元の公立に行った。何度か記事でも触れているが、この小学校はなかなか環境が悪かった。そして小学4年生の頃から集団塾へ通い、偏差値50-55くらいの中高一貫校に進学。正直塾では無双していた。京都をメインに展開している塾だったので、規模としては中〜小規模だったと思うのだけれど、塾内で行なわれた、わたしの第一志望の対策模試では一番を取った。算数担当の先生がやけに触れ回っていたので、なかなかすごいことだったのだと思う。志望校を引き上げようと何度も打診されたけれど、断って前述の中高一貫校に入った。
ここは大学までエスカレーター式で上がれる学校で、小学校もあった。中学受験で入る生徒が大半なので、小学校上がりの生徒(大体お金持ち)は「内部」と呼ばれていた。そして、高校から入るのはかなり過酷な門、偏差値は70、通知表がオール5じゃないと入れないようなレベルなんだとか。高校からの生徒も少ないので、彼らは「外部」と呼ばれる。まあ別に、「内部」だからどう、「外部」だからどうという訳でもなく、わたしだって分け隔てなく友人がいる。今も続く大切な縁だ。
高校3年間をほとんどの生徒は附属の大学の、望む学部や学科に入る為に過ごす。成績が良い順に枠が埋まっていって、定期的にある担任との面談では、自分が今その学部学科を目指す者の中で何位にいるかを聞けたりもしたらしい。でもわたしはこの推薦制度を利用せずに東京に出ると志していたから、「外部受験生」として教師からは扱われていた。面談なんかも他の人とは内容が異なった。
また、高校1年生の後半からはメンタルの雲行きが怪しくなり始め、毎日朝から登校するというのが難しい状態だったので、塾にも通っていなかった。上の兄弟もいないものだから、大学受験の情報は高校がやってくれる説明会と、インターネットと、たまたま前の学校で進学担当を務めていたという高2の時の担任だけが頼りだった。あとはZ会
そんな状態で、浪人したらきっと自分は自殺するなと不安を押し殺しながらなんとか受験を乗りきって、現在の大学に合格した。結局前期は自殺未遂の騒動のせいでテストどころではなかったし、今も休学しているから、取得単位は今のところゼロだけれど。一応籍は置いている。
自分の受験の話だけで1000文字を超えてしまった。そんなつもりじゃなかったのに、やはり苦労体験なだけあってついあれもこれもと話したくなってしまう。普通に受験について語るのは次の記事にしよう。

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