令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

箱根家族旅行

2泊3日の箱根家族旅行に参加してきた。夜だけウットの力を借りたけど、概ね何とかなった。良かった……。

別に参加しないという手もあったんだけど、ちょうど温泉や旅館に行きたいなと思っている時に旅行の話が持ち出されたので便乗することにした。家族に便乗すれば全部無料だし。大きい。次は一人旅に行きたいな。

新宿からロマンスカーに乗って現地集合だったから多少負担は軽減されていたけれどそれでも2泊3日ずっと家族と行動を共にするということで、不安はとても大きかった。だからお洋服のパワーを借りることにした。

1,3日目は手持ちの中で比較的着やすいアイテムを選んでのロリィタスタイル。2日目は好きなブランドの新作アイテムをメインに、キュートで一癖あるコーデにした。どちらのコーデも家族とは完全に一線を画している。こうでもしないとわたしは自分を保てない。外国人の多い観光地を巡ったので、おそらくたくさん盗撮されていたことでしょう。撮影許可を求められたこともありました。通常運転。

こうでもしないと家族と行動できない歪さには悲しくなるけれど、もう仕方がないことだから諦めている。別に昼間はODしてないし。素面だったし。上出来上出来。

全体的に思ったのは実家に帰省するよりは過ごしやすかったこと。あの家にいると家族それぞれの役割が固定されていて息苦しくなってしまうのかもしれない。はぁ、どんどん帰省が嫌になる。

でも帰省よりは色々話したかも。たぶん家族側が非日常モードになってるからだと思う。

祖父母の健康状態は日に日に悪化していて、どこかで一度会っておかないとなと思わされる。でも実家に帰るだけでも精一杯なのにそこから更に祖父母宅にむかうのってしんどいな……かといって祖父母宅に直行するのはもっと無理だし……。

両親も少しずつだけど体にガタが来ているようで、早くも介護の文字が頭に浮かんだ。しかもうちは弟が精神年齢低めというか、たぶん発達遅めだからいざという時はわたしに負荷がかかる気がする。嫌だなぁ。

旅行自体はわたし好みのスポットもいくつかあっていいところだった。新宿から電車1本で行けるのも魅力的だし、またいつか行ってそうな気がする。

しかし反動が大きすぎる。今日も外出したくなる、まだ切り替わっていない体のモードを無理やり休憩モードにしてなんとか休んでいる。いつもよりも不安が強い。これは危険サイン。さっきも2度インターホンが鳴って、たぶんちいかわの通販だと思うんだけど2度とも出られなかった。

街での視線について

ロリィタさんと関わるようになって、ひとつ気づいたことがある。ロリィタさんの中で一般人からガン見されたり撮影をお願いされたりするのを是としない人はかなり多そうだということ。

盗撮が嫌なのはもちろん分かるんだけど、笑顔で撮影を求められると「自分はただ服を着てるだけなのにな」と複雑な心境になる人が多いみたい。

確かに、そういう時のロリィタさんは人間ではなくキャラクターとして扱われている。端的に言えば消費されている。わたしも女性の端くれとして、消費されるのは大っ嫌い。

でもわたしは正直、街中で目線を感じたらそれが好意的なものであれ否定的なものであれ、「見ちゃうよね?かわいいでしょ?今日の思い出にしていいよ?」くらいの気持ちで気取って歩いてしまう。撮影も、肖像権とか怖くて断ってしまうことはあるけど求められること自体は割と好きだ。

じゃあわたしは目立ちたがり屋なのかというと、なんともしっくり来ない。思うに、わたしは華やかなファッションの人を目で追ってしまう人達の気持ちがとても分かるんだと思う。わたしも少し前まではそっち側だったから。

登校するのがとても苦しかった高校時代、わたしは電車や駅にいるおしゃれな人にとても救われていた。かわいいお洋服はもちろん、例えばブラウスと靴下の色が一緒だとか、コーデにひと工夫加えたのが分かるような人を見かける度にエネルギーをもらえて、その日はなんとか乗り越えられるような気がしていたのだ。

今思えばわたしのおしゃれに対する思いはこの経験に大きく影響を受けている気がする。自分が明るい気持ちになれるのはもちろん、それを見た街の誰かの心に残って、少しでもその人が毎日を生き抜く手助けになればいいなと思いながら街を歩いている。だから見られるのは嬉しいし、視線は感じなくてもチラ見してる誰かがいるかもしれないなと心躍る。

わたしは街を歩くお人形さんになって、感性の近い素敵な誰かを救いたい。

毎日お風呂入れたらいいな

潰れるまでは行ってないけどとても疲れている。動画を見たり本を読んだりして回復することがギリギリ叶わない疲れ具合。

風邪薬を複数回に分けてたくさん消費したし、ウーバーも使った。最近またウーバーの使用頻度が増えているし、キッチンを筆頭に家全体が散らかっているから黄色信号な気がする。

そんな状況下でも今日はえらかった。いや、偉いのかな?もっと意識的に休むべきだったのかも。

数日前に店頭でさらっと見て、時間が無いからとスルーした新作のお洋服を通販で買おうと思って通販希望のメールを出した。(そのブランドはサイトに並んでいない商品もメールでお願いすれば通販ページを作ってくれる)

あとお風呂にも入った。いい加減前髪に残ったままの整髪剤が嫌だったから。えらすぎる。

お風呂、またいつか毎日入れるようになるかなあ。というかそもそも毎日入る必要ってあるの?外国だと3日に1回とかしか頭洗わないって聞いたことある。

洗ってない食器が溜まっていくのとかは割と肯定できるんだけど、お風呂に入れない自分のことはまだ嫌い。表面だけかわいくても根本的に清潔じゃなかったら台無しじゃんって思っちゃう。体力が無いんだから仕方ないし、これでも大事な予定の前はなるべく入ったり、出かける時は香水をつけたりして工夫はしてるはずなんだけど。見た目に関してはどうしても完璧を求めてしまう。それがわたしの良さでもあるんだろうけど。

お風呂問題って今のわたしの中では結構大きくて、精神疾患を抱えたわたしみたいな人のことを指す時に「毎日お風呂に入れない人」って表現を使うこともあるくらい。なんだけど、母親はそれをちっとも知らないのっておかしくって笑えちゃう。今日寒かったってLINEした時とか、「湯船浸かってね」みたいな返信が来がち。

わたしを“心配”して飽きずに毎日LINEを送ってくる割にこういう本当に苦しんでる面は存在すら知らない、そういうところだよね。結局あの人にとってわたしはおままごとの道具でしかない。わたしという個人のことを知らないから信頼できなくて過度に保護してしまうんでしょう?どっちが保護者なんだか。

お茶会(集団行動のすゝめ)

2日連続でお茶会に行ってきた。お茶会というのは平たく言ってしまえばロリィタさんのオフ会のようなもので、かわいいお洋服(テーマが決まっていることも多い)を着て集まっておしゃべりに花を咲かせながらアフタヌーンティーなんかを楽しむ、という楽しい時間だ。

わたしはまだ始めて歴が浅いのもあってあまり頻繁に参加するほうではないけれど、ロリィタさんが一堂に会した時の非現実感が好きで、良さげなお茶会があったら行くようにしている。せっかく暇なのだから、こういうことに時間を割くべきだとも思うし。

お茶会というと大層なように聞こえるけれど、実際はただ女の子が集まってカフェなんかに訪れているだけだ。いわゆる女子会と、服装以外は変わらない。

いや、お洋服の話題はかなり多いからやっぱり女子会とは少し違うのかも。とびきり仲良しな人との集まりならまた違うのかもしれないけど、わたしはまだ初めましての人のお茶会に飛びこむことが多いので、込み入った「現実」の話はエッセンス程度だ。大抵は共通言語であるお洋服だったりブランドだったりの話になる。

きらきらした空間は楽しかったんだけど、やっぱり疲れた。なにせ休学している身だから、大勢で話す機会が全くと言っていいほど無いのだ。

そんな中でいきなり初対面の人の集まりに入っていくのだからいつ話せばいいのか分からない。自分が話している時の、周りが静かになってこっちを見ている感じが怖い。わたしなんかが場を占領していいのかといたたまれなくなる。というかそもそも、盛り上がった会話に相槌を打つのが精一杯で自分のターンに持ち込むことすらできない。

一対一で話すのは割と得意になってきたつもりだけど、大人数となるとまた全然違うなと思った。同じような服を着ていると言えど、それなりの人数が集まれば気の合わない人だっているわけで、そういう人の話にどう相槌を打つべきか悩みながら話す感じもとても久しぶりだった。そういえば学校に行っていた頃はこういう感覚があったなって。

あと、誰かが内輪ネタっぽいので盛り上がってる時に話題に入れない人同士で別の会話を一旦進める感じとかも、あ〜あったなこれって。わたしは基本的に場を掌握して話すタイプじゃないから、こっちの”隅で話す”感じはよくやってた。

 

 

女の子の集団行動について考えていたら色んな思い出が蘇ってきた。

グループで行動していると、たとえば忘れ物をしたとかで1人だけグループから外れちゃう子がたまに出る。移動教室の時とかね。そういう子に気づいた時、わたしは大体「みんな」から離れてその子にペースを合わせる。「みんな」が気づかず前に進んでしまって、早く自分の用事を済ませて追いつかねばと焦る時の気持ちがよく分かるから。これって偽善かな。

あと、乗り換えの都合とかでグループの中の誰かと一対一になった時の気まずさとか、逆にそういう時だけ相手の本音が聞けて、自分も自分らしく話せてる気がするあの感じとかは好きだ。大人数で行動している時は基本的にその場の流れに乗ろうと気を張ってしまうから、そこから離れて1人1人と話せた時の方がわたしは安心できる。

こうやって書くとわたしってめちゃくちゃ空気読むタイプなんだな。それで読みすぎるあまりに集団の中で自分を保てなくなるのかも。まあこういう存在がいるから場が上手く回るんだろうなという自負はあるけれど、この感じで学校にまた通うと一気に疲れてしまいそうだから少しずつ改善していきたいな。

いずれにせよ疲れた。精神的にもそうだけど、ロリィタファッションは着るのに体力を使うお洋服だから。でもその不自由さが好き。不自然で大切なお洋服。

薬で生きてる

わたしはPMSでメンタルがやられてしまうタイプなので低用量ピルを服用しているのだけど、うっかりして薬を切らしそうになっているのに今日気がついた。

慌てて婦人科の予約を取ろうとしたけれど再診の枠は既にいっぱい。仕方なく自費ピルの枠で予約を取った。病院に申し訳なさすぎる。だけど前にも同じようなことがあった時、いつもとは別の優しい先生から「薬が足りなくなる方が大変だからもしもの時は自費の枠でも使って病院来てね」と言われたのだ。その優しさに従ってなんとか予約を取った。

なんだか最近は薬関係のトラブルが多いな。つくづく自分が病人なのだと自覚する。薬に生活が精神が左右される。

トラブルはあったけど今日はそれなりに調子が良かった。あとは眠れるかどうか。明日友人との予定があるんだけど、ここ数日生活リズムがぐちゃぐちゃだから正直危うい。寝てから行くか、いっそのこと徹夜で行って乗り切るかの二択すらまだ決められていない。なんとかなりますように。

薬足りてない

う〜〜〜薬が足りない。おそらく量が見合っていない。どうしたものか。睡眠導入剤や安定剤なら市販のもので凌ぐこともできるけど抗うつ薬は無い気がする。あるのか?薬売り場は割とよく見てる方だけどその手の元気になる薬は無いような……。

数日前に受診して、そのさらに数日前から既に何にも興味が持てないうつ状態が続いている気配を感じていた。とある出来事がきっかけで受診の際は一時的に元気になっていたのだが(この出来事についてここで言及する予定はない)、たぶんブーストが切れたら元に戻るんだろうなと元気な中でも予想できていたのでうつ状態にあると診察では伝えた。

先生と話して、今まではデプロメールを朝晩服用していたところを似たような作用のあるレクサプロを寝る前に服用するという形に変更してもらった。デプロメールはかなり長い間飲んでいる薬で、レクサプロも一時期飲んでいたことのある薬だった。

別に効果が無いわけじゃ無いと思うんだけど、如何せん量が足りてない気がする。たぶんレクサプロをメインで飲むのは初めてだから最初は少なめってことで1日1錠からになってるんだけど、デプロメールは1日3錠飲んでそれでも怪しいくらいだった。いや、薬は多く飲めば飲むほど良いってものでもないんだろうけど。種類も違うから詳しい違いは分からないけど。でも量、不足してる気がするなー。

どうしたものか。塞ぎ込むとかは今のところないから全く耐えられないってわけでもないんだろうけど、「暇だな」と思った時に何かに手を伸ばそうとしてもどうにも伸ばせず、虚ろな目で虚空を眺めている時の虚しさ。これはこれで違う苦しさがある。

かといってまた予約取って追加の薬を貰いに行くのか?つい先日苦労して受診したばかりなのに?別に毎日暇なら少し頑張ってもいいんだけど、一応今週は予定が重なっているのよね。動けるだろうか……。

こうして文章を打つことは出来る。なんでだろう。でもこれくらいしかできないのだ。絵は描けないし、本を読んでいてもすぐに閉じてしまう。集中できないというか、興味を持てない。う〜苦しい……。

痙攣的なアクロバットを繰り返す

嶽本野ばら様の書かれた乙女の聖書バイブルである「それいぬ 正しい乙女になるために」を読み返しております。こうして初めのページから読み返すのはこれでもう3,4度目ですが、いつ読んでも心が救われる作品です。今日はこんな一節に目が留まりました。

涙が人の為に流されないのなら、僕達は泣いたぶんだけ自分を嘲らねばなりません。それが最低の礼節というもの。

ああ、なんと美しい思想でしょうか。ここ数日のわたくしは泣いてばかりいます。そんな自分を哀れんでもいましたが、確かにこれは嘲るべきことです。わたくしは自分の犯した過ちの為に苦しみ、その苦しみによって涙を流しているのですから。ああなんと愚かなことか。この涙は大切なものを踏みにじる涙なのでしょう。

 

とはいえ自分を追いつめてばかりいても精神衛生上よろしくありません。あまり自らを責めてばかりいると発作を起こして周りに大迷惑をかけてしまうことをわたくしは知っています。だからこうも考えます、この涙はわたくしの繊細な心の表れだと。

だってそうでしょう?大通りを我が物顔で闊歩する豪胆な精神の持ち主たちはきっと、こうして自らの犯した罪に苛まれて泣くことなんてないのです。それどころか、自分が罪を犯していることすら気づかないかもしれません。

ああ、そんな人が陽の光を浴びるこの世界のなんと醜いことか!月光の神聖さにすら怯えるわたくしたちの居場所はごくごく限られています。もしかしたらそもそも居場所なんて無いのかも。

それでもわたくしはここで生きていかなければならない。死んで辻褄を合わせることはいつでもできる簡単な行為だから、後回しにしなければならない。大切なものを踏みにじりながらも、迷惑をかけて謝罪を述べ続けて頭を下げ続けながらも、なんとか進んでいかなければならない。そんな自分を嘲りながら。