令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

痙攣的なアクロバットを繰り返す

嶽本野ばら様の書かれた乙女の聖書バイブルである「それいぬ 正しい乙女になるために」を読み返しております。こうして初めのページから読み返すのはこれでもう3,4度目ですが、いつ読んでも心が救われる作品です。今日はこんな一節に目が留まりました。

涙が人の為に流されないのなら、僕達は泣いたぶんだけ自分を嘲らねばなりません。それが最低の礼節というもの。

ああ、なんと美しい思想でしょうか。ここ数日のわたくしは泣いてばかりいます。そんな自分を哀れんでもいましたが、確かにこれは嘲るべきことです。わたくしは自分の犯した過ちの為に苦しみ、その苦しみによって涙を流しているのですから。ああなんと愚かなことか。この涙は大切なものを踏みにじる涙なのでしょう。

 

とはいえ自分を追いつめてばかりいても精神衛生上よろしくありません。あまり自らを責めてばかりいると発作を起こして周りに大迷惑をかけてしまうことをわたくしは知っています。だからこうも考えます、この涙はわたくしの繊細な心の表れだと。

だってそうでしょう?大通りを我が物顔で闊歩する豪胆な精神の持ち主たちはきっと、こうして自らの犯した罪に苛まれて泣くことなんてないのです。それどころか、自分が罪を犯していることすら気づかないかもしれません。

ああ、そんな人が陽の光を浴びるこの世界のなんと醜いことか!月光の神聖さにすら怯えるわたくしたちの居場所はごくごく限られています。もしかしたらそもそも居場所なんて無いのかも。

それでもわたくしはここで生きていかなければならない。死んで辻褄を合わせることはいつでもできる簡単な行為だから、後回しにしなければならない。大切なものを踏みにじりながらも、迷惑をかけて謝罪を述べ続けて頭を下げ続けながらも、なんとか進んでいかなければならない。そんな自分を嘲りながら。