令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

不安なの怖いの

どうしてこんなにずっと不安なんだろう。
今でこそメインの診断はうつ病として下されているものの、私が最初に下された診断は不安障害だった。いや、厳密に言えば最初は起立性調節障害だけれど。あれはあってないようなものだし。
生きづらさの理由はかなり分析が進んでいて、まだまだ「生きやすい」には程遠いものの、自分がしんどい仕組みはかなり把握できている。でも不安が強く出ている理由はまだあまりわかっていない。そもそも、私を構成する感情の中で最も大きいのが不安なのが、意味のあるものなのか、それともただの偶然にすぎない、脳のバグにすぎないものなのかも検討がついていない。分からないことは怖くて、恐怖はすなわち不安だ。無限ループに陥る。
普段はお薬の力を借りて、なんでもないふりをしているけれど、本当は何もかもが怖い。生きることが怖い。この世界が怖い。歩くのも、食べるのも、眠るのも、死ぬのも、他人も、自分も、家族も、病院も、処方薬も、ODも、全部怖い。怖くて怖くて、真っ暗にして刺激を極限まで減らした部屋でずっとうずくまっていたいし、それすら怖いから早く消えてしまいたい。怖い。この世の全てが怖い。
この恐怖はどこから来るものなのだろうか。今もこうして文字を言葉を吐き出していないと、ごちゃごちゃとした感情で自分が埋め尽くされてしまいそうでとても怖い。怖い。もう何も感じたくない。でも何も感じられなくなることも怖い。

ODをすると怖さは不安は顕著になる。ODをすると、普段なら高く厚くそびえ立っている心のガードレールが無くなる。それはとても楽で、楽しいことではあるけれど、ひとたび悪い方に入ってしまうと恐怖に心が支配される。嫌だ、なのにお薬を飲むことがやめられない。この体はもう壊れている。この脳はもう壊れている。だから捨てたいのに、この国はまだそれを許してはくれない。
昨日今日と、R・D・レインの「好き?好き?大好き?」を読んでいる。これは詩集で、作者は精神科医だそうだ。難解で掴みどころのない言葉が並ぶものの、私はそれらを知っていた。読んでいてとても奇妙な感覚に心が支配された。私はこの言葉を知っている。初めて読むはずなのに、初めて出会ったように思えない。これは私の中にあるもの。どうしてそれが、こんな風に取り出されて出版されているの。怖い。
私は感動すら恐怖に変換してしまう。心が大きく動くことは怖いこと。だから本当に調子が悪い時は、SNSが見れない。強い感情に触れられない。
早く安らげる場所が欲しい。