令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

下書き供養

今朝はなぜか9時過ぎに目覚めた。本当になぜなのか分からない。別に昨夜は3時か4時まで起きていたはずで、特段早寝というわけでも無いのに。
久しぶりの朝の時間をどう過ごそうか迷って、本でも読もうかと思ったものの眠気に活字は毒で、何気なくYouTubeを開いたらちょうどプリパラの映画が無料公開中だったので、それを見ることにした。時間は56分。ぼんやりと眠気覚ましも兼ねて見るにはちょうど良いボリュームだ。
映画を見て、少しエネルギー不足を感じたのでパンとゼリーを食べて、その後はスイカゲームの配信のアーカイブを流しつつだらだらと過ごした。耐えられなくて結局ODしてしまった。あと1時間くらいでメジコンが回ってくるはずだ。
こうして無為に時間を過ごしていると、わたしはなぜ生きているのだろうと考えを巡らせてしまう。意味の無い生なんて必要ないんじゃなかろうか。何も生み出せないのなら生きている意味なんてないんじゃ。だって人が一人生きていくだけでも貴重な資源を消費してしまうのだから。今だって電気をたくさん使いながらこの文章を書いているし。
今のわたしのように、日がな一日フリーダムに過ごしながら生きる意味について考える生き方と、ひたすらタスクに追われて目の前のことに夢中になる生き方、どちらが「幸せ」なのだろうかとふと思う。一見すると前者の方が幸せに感じられるけれど、本当は後者なんじゃなかろうか。哲学なんてしなくても良い方が幸せになれるんじゃないだろうか。
だからといってタスクを詰め込む生き方にシフトチェンジしようとは思えない。そんな体力はないし、あまりの忙しさはわたしの場合、精神的な余裕を奪っていくものだと既に知っているから。