令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

空っぽ

心が枯れていく。欲が消え、気力が失せ、わたしはしずかに死へ向かってゆきます。オーバードーズをしても、もう快楽物質は出ません。ただ落ち着くだけ。せき止め薬に守られてすこし息ができる。それだけ。
早く死にたいのです。ただ死ぬ決定的な理由が見つからないから生きているだけ。生よりも死に近いこの生命。こんなことをして一体何になるというのでしょうか、すみやかに全て終わってほしい。
またあの発作が起きればいいのにと思います。7月に自殺未遂した時に起きた、終わりへの衝動。この人生を終わらせなくてはと何か大きなものに突き動かされるあの発作がまた来てくれたなら、わたしは一人しずかに首を吊って死ねるのに。
一刻も早く土の中で眠りたい。もう疲れました。飽きました。退屈です。もういいではありませんか。いじめを受けた小学5年生のあの頃からずっと、自殺念慮をなんとかやり過ごして生きてきました。もう8年くらいでしょうか。人生の約半分を、死にたいと思いながら無理やり生きてきたのです。ここまでして生きる理由がどこにあるというのでしょうか。死にたい。早く死にたい。
怖さはほんのひと握りだけ。わたしが死ぬことで、取り返しのつかない喪失を抱えることになる人がいるかもしれない。また自殺に失敗してしまうかもしれない。怖さはそれだけ。
首吊りや飛び降りは、さして苦しくないそうで。飛び降り場所は見つけられていませんが、首は今すぐにでも吊れます。おむつこそ常備していないものの、縄はずっとこのおうちにあります。その気になればいつでも死ねる。
わたしが自殺したいのをなんとか堪えて生きているのはすごいことなんです。なのに、それは誰にも評価されることがない。死なないことは人間として当たり前の、ごくごく最低限のラインとして扱われている。生きることは当たり前で、そこからさらにあれやこれやを要求される。
こんなに生きるのに向いていないわたしは、早く死んでしまうべきだと思います。ねえ、そうではありませんか?このまま生きていたとて何があると言うのですか。ただ社会が人を死なせないことに懸命で、責任逃れに懸命で、その渦の中で生かされているだけのこの肉体。あまりにも気持ちが悪い。気味が悪い。早く死なせて。