令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

安楽死認められないかなぁ

病院へ行ったら定時の処方薬が無くなった。代わりに頓服を処方された。ODがやめられないことを話したけれど、それは今のわたしにとって必要な対処なのかもしれないと言われた。
定時の処方薬は飲む時間がバラバラになっていて、もはや体に負担をかけるだけの役立たずと化していたから無くなったのだし、それでも調子が悪い時のために頓服があるのだし、ODはそれほど深刻な量でも無いから一旦放置されているだけ。分かっているのに見放されたような気持ちが消えない。わたしはこれからどうなるんだろうか。
自立支援のなんちゃらが通って、カードを見せると病院でも薬局でもお会計が無しだった。月の上限があるらしいので、それを超えればお財布の出番もあるのだろうけど、自分がほんとうに社会から外れてしまったんだなと感じてしまって悲しくなった。薬局の人が、カードのことを手帳と呼んでいたのも理由の一つだと思う。手帳と聞いて真っ先に浮かぶのは障がい者手帳だった。もちろんわたしが提示したのはそれとは違うものだけれど、薬局の人からすれば同じような括りのものなのだなと感じて、悲しくなった。ああわたしはそこまで落ちてしまったのか、と。
生きるためのパーツをなんとかかき集めている。恋人のような人もできたし、ネイリストになりたいなという気持ちも膨らんでいる。ロリィタ趣味だってどんどん本格的に取り組んでいる。希望はあるはずなのに、きらきらしたものは周りに増していっているのに、死にたい気持ちが消えない。今すぐにでもベッド下にある縄で首を吊ってしまおうかと自殺念慮が頭をよぎる。
なんで生きなくちゃいけないんだろう。いや、生きなくちゃいけないということは無いか。でもこの社会はあまりにも人をとりあえず生かす方に設計されすぎている。早く安楽死が認められてほしいな。安楽死したいという気持ちもあるけれど、それ以上に、死を肯定する場ができてほしい。たとえば今安楽死が社会的に認められたとして、わたしも精神疾患を理由に安楽死を希望して、そしたらたぶんカウンセリングか面談を受けるだろう。そこで、あなたは死んでいいよと太鼓判を押されるもよし、あなたはまだ生きるべきだよ、死なせられないよと言われたならそれはそれで覚悟が決まる気がする。生きることだけ推奨されたって意見に説得力が無い。死も見つめた上で、わたしの自殺念慮をジャッジしてほしい。