令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

救を求める歪んだ眼差し

ひどく苦しい時は、救いを求める欲求が強くなる。こう文字にしてしまうと在り来りだけど、わたしは時折これを実感する。苦しい時は、通常の自分ならそこまで好感を抱かないものにも強く好感を抱いてしまう。少しでも自分の心がプラスに動きそうなのを感じたら、そうさせてくれる物に期待を寄せすぎてしまう。これこそがわたしの生きる意味だ、わたしがあの日死ねなかったのはこの為だったんだ!と盲信してしまう。だけどそんな風に期待したものの大半は、数日後に再度触れるとなんてことないものになっている。救いを求めるあまり、10円玉がキラキラ光る金貨に見えていただけだと知る。

わたしはこれが恐ろしいなと思う。人生に行き詰まった時、物事のマイナスな面ばかりに目を向けてしまうのは自覚できるのだけど、プラスの面を増幅させる歪んだ眼差しを向けてしまうことはあまり広く言われていないし、自覚しづらい。これが物体に対して発揮されるならまだ良いのだけど、人に対して発揮されてしまったらと思うとぞわっとする。自分の歪みによって誰かを救世主に祀りあげてしまうかもしれない。しかも少し時間が経てば目が覚めるのだ。相手にかける迷惑は計り知れない。