令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

高熱、点滴、見知らぬ、天井

微熱で終わると思ってた熱がそのまま上がって最高39.6℃の高熱になり、さすがに苦しんだ。熱はお金も大してかからずにODしたようなふわふわした脳みそになれて一時的に希死念慮が遠ざかるから嫌いでは無いのだけど、今回はあまり眠れなかったからしんどかった。朦朧とする意識の中浅い眠りを繰り返して今が何時かも分からない。病院の予約は朝9時からしか取れないのに時計を見たらまだ午前3時だったりしてしんどかった。

結局病院へ行っても心配していたような検査結果は出なくて、点滴だけ打って帰ってくる頃には熱も下がっていた。点滴を打った右腕にはまだ生々しい内出血の痕がある。でも薬で自殺未遂して入院した時の痕はこんなものではなかったし、もっと見える場所に痕があった。それも夏だったから袖で隠すこともできず、去年の夏は必要以上にお袖留め(ロリィタちゃんのブレスレットみたいなもの)を愛用していた。

点滴、普通に怖かったな。予防接種や採血には強い方なんだけど、点滴は時間が長いからか怖かった。液体(何だったのか結局分からない。それも怖い)が体に入る度に針が刺さった部分が痛むような錯覚がして、針が刺されることそのものよりも怖さを感じた。献血とかもわたし向いてないかも。そもそも飲んでる薬的にたぶん行けないんだけど。

未遂して入院した時の記憶はほとんど飛んでるんだけど、ところどころ覚えてる部分もある。わたしは担架か何かで運ばれていて、「誰が通報してくれたんですか」と看護師さんかなにかに訊ねる。すると、「なに言ってるの貴方が自分で言ったんでしょ」と返されるという断片。

覚えてないだけで、救急車で運ばれ胃洗浄を受けベッドに連れられた間もわたしの意識はたぶんあって(もしかすると胃洗浄の時に麻酔でも打ってたかもしれないけど)、だからこそあんなに痕が残るような点滴を次々刺されていくのは苦しかっただろうなと他人事のように想う。

未遂後のごたごたに関する記憶が無いのは確実に今のわたしに影響を与えている。わたしはあれを臨死体験のように捉えている。たぶん本当に死んで、死後の世界もなくて、「無」に還るのだとしたらあんな感じなんだろうと思うから。それなら清潔で心地好さそうだと焦がれてしまう。

 

話が戻るけど、こんな風に体調不良でここ数日あんまりコミュニケーションに割く体力が無くて、母親からの毎日LINEの返事をスタンプで済ませたらついに2日連続でスタンプへの感想が返ってきた。わたしも向こう側に立ったことがあるから分かるけれど、これは飢えたメンヘラの末期症状だ。

わかるけど、そこで歩み寄ってもどうしようもない。母親は子離れするべき頃合いだし、わたしも親離れするべきだ。適切な距離を保たなければいけない。特にうちの場合こちらが壁を張らないと向こうはいつまでも詰めてきてしまう。

時々親の尻拭いをしているような気分になる。親が上手く育てられなかったから今わたしは自分で勉強してあれこれ工夫して必死で生きざるを得ない。もっと言えば親がわたしを上手く育てられなかったのは親になれるほどの人生を積んでないのに子を産んだからで、そうなると親の人生の尻拭いをしている気にすらなる。それは考えすぎかな。