令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

安心できる場所なんて

途中まで読んで放置していたスキーマ療法の本を開いた。スキーマ療法は認知行動療法の一種、だったと思う。その認識すらあやふやなくらい放置していた。

「安心できる場所と儀式を作ろう」という記載があった。以前はそれを幸せな思い出の中に見出していたけれど、それはもう自分を苦しめる思い出に変貌してしまって、今のわたしには安心できる場所なんて無いことに気がついた。一応サブとして大好きなブランドの店舗も想定していたはずだけど、それもわたしの不注意のせいで想像すると苦しくなる場所になってしまった。

安心を求めているのに、一向に手に入らない。それどころかどんどん辛さが増すばかりだ。こんな言葉も幾度もこのブログに書いてきた気がする。一時期に比べれば遥かに回復して自由に動けるようになってきたんだろうけど、そうなると社会復帰の文字が見えてきて、不安に押し潰されてしまう。考えたくないけどずっと考えない訳にもいかない。ゆるやかに今できることを進めながら、これはあの頃と同じように頑張りすぎているんじゃないだろうか、それとも怠けすぎなんだろうか、ともう右も左も分からない。早く解放されたい。死の文字がちらつく。