令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

悲しみの取り出し方

久しぶりにメジコンを買った。

※このブログはオーバードーズを推奨するものではありません

トー横の売人をきっかけに規制が強化されて、40錠入りが店頭から消えてからは、コスパが悪いので他の薬を買っていた。

あと単純に、メジコンを買うのがはばかられた。一応わたしは出先のドラッグストアで買ったり、近所のところも何軒かルーティン制にしたりしてひとつのお店から大量に買うことはしないようにしているのだけど、ニュースなんかで名が知れちゃったメジコンやらブロンやらはレジに持って行きづらかった。

わたしみたいなのがいるんだから、報道は見事に効果を出している。

 

今日はちょっと事情があってメジコンを買って、すぐに入れた。久しぶりだからいつも何錠くらい入れていたかすっかり忘れていた。

メジコンは咳止めの成分1種類だけで構成された純粋な薬。最近飲んでいるのは数種類の成分が入っているから、メジコンほど綺麗にはキマれない。のだと思う。

メジコンでODをするとわたしの深層心理が浮かび上がってくるのかもしれないと思った。深層心理って言葉で合ってるのかな。本音というか、普段は表に出てくることの無い、内の内の深い部分。

 

たくさん泣いた。わたしの生活は表向きは陽気で幸せなものだけど、底で鳴っているのは悲しみなんだなぁと改めて思った。そう、普段は見ないようにしているのだ。直視してしまうといとも簡単にベッド下の縄に手が伸びてしまうし、きっと大切な人にかけてはならない迷惑をかけてしまうから。

だから悲しみは心の奥底にしまっておいて見ないようにして、とりあえず「今ここ」に軽やかで明るい暮らしを形作ろうとしている。それが近頃のわたし。趣味と暇つぶしが日に日に増えてゆく、近頃のわたし。

 

この悲しみはどうすればいいんだろう。カウンセリングを再開すべきなんだろうか。だけど、見たくないの。辛いの、いくらでも泣けてしまうの。

この悲しみには出口が無い。出口が見当たらない。唯一見つかる出口は決して使ってはならないから、他の道を探さないといけない。それが苦しくて苦しくてたまらない。もう死んでしまおうかと何度も思う。

 

涙を流して辛さを味わう一方で、それが心地よいと感じる面もある。これは数ヶ月前には無かった気持ち。普段抑え込んでいる悲しさを解放してあげることで、何かしら軽くなるものがあるような気がする。

 

たまにはメジコンを飲むべきなんだろうか。でもやっぱり、進んでこの悲しみを取り出す気にはなれない。積極的に取り出すにはこの感情はあまりに重すぎる。