令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

ルッキズムがひどい

気を抜くとTwitter(もうXか)のTLはルッキズムで埋まる。病み垢をしていた頃は、醜形恐怖症チックな子が周りにたくさんいた。彼女たちは息をするように「整形したい」と言う。

 

わたしが通っていた中高は私服登校で、メイクもヘアスタイルもネイルも、体育の時間以外は自由。だからみんなお洒落に目覚めるのが早くて、学校に行けば流行りが分かるような状態だった。高校生にもなると周りはみるみる可愛くなって、そんな友人に囲まれていることが今でも誇らしい。

 

だけどそんな子達も「整形したい」と零しているのをたまに目にする。

 

わたしは本気で整形を考えたことは無いし、発言したこともない。別に自分が特別美人だとは思わないしコンプレックスを隠すメイクも研究するけれど、持って生まれたこの顔を自分の手でいじくることが楽しいなと思う。

 

今の世の中は美の基準が画一的すぎると思う。一重だろうが鼻が丸かろうが丸顔だろうが蒙古襞があろうが、それを生かせれば魅力的な顔になりうるだろうに、それらをジャッジして唯一の正解を信仰することが是とされている。

 

そんな世界で苦しそうに生きる女の子たちを見ていると、わたしは苦しくなる。だけどいくら「レースから降りていいんだよ」と彼女らに伝えたところでわたしの言葉が届かないことも知っている。

 

整形の普及が美を画一的なものにしてしまうという問題は、哲学の本で読んだことがある。ああまさにそれが現実になっているなと悲しくなる。

 

時折、どうしてわたしはこの洗脳にかかっていないんだろうと考える。わたしの精神にはいくつも問題があるけど、容姿に関してはほとんどといっていいほど悩みが無い。かといって美人という訳でも無いのだ。これは本当。生まれてこの方、持って生まれた容姿を褒められた経験はほとんど無い。

 

ひとつ思うのは、アニメ作品から「どんな女の子だって可愛いんだよ」というメッセージを受け取り続けてきたこと。幼年期に見て育ち、今なお大好きなプリティーシリーズには多彩な女の子たちが出てくる。わたしは彼女ら全員がそれぞれに魅力的であることを知っている。

 

あとは、世間の美の価値観に無頓着だったのか。家庭でも人の容姿について誰かが優劣を語る姿はなかったように思う。それよりもわたしは生き方の美しさを追求している。アニメに出てくるようなストイックな努力に憧れて、結果潰れた。

 

話が逸れてしまった。

とにかく、今の加速したルッキズムには思うところしかない。こんな理不尽に苦しめられる女の子が一人でも減ってほしいと願う。みんな既に、それぞれに美しいのだから。