令和乙女日記

拗らせメンヘラの端書き

上品であれ

品性に人一倍執着している。きっかけは、中学3年〜高校2年にかけて応援していた活動者さんだった。その人は言葉にとてもこだわりのある人で、流行り言葉や若者言葉に何度も苦言を呈していた。本人は二十代半ばで若者の枠組みに入る人だったけれど、「アベック」とか「股引」とか使うことがあるといつかの配信で話していた。一人称も、どうやら昔は俺を使っていたようだけど、意識して僕を使っていた。たまに俺とうっかり言った時には「使わないようにしてるのに」と悔しそうにしていた。当時流行っていた言葉といえば、「エモい」とか「あたおか」とか「草」とか。エモいと草は残念ながら一時の流行りに終わらず今も残ってしまっているね。

わたしだって普通に女子中学生をやっていたから、草もワロタもエモいも使っていたけど、この活動者さんを応援するようになってからは、言葉遣いに人一倍気をつけるようになった。活動者さんに対してビジネスで使うような重い敬語を使って逆にやり過ぎてた一面もあったっけ。いい思い出だ。

この人が引退して、応援する場が無くなってからも言葉への執着は残った。元々ロリィタやお姫さま、深窓の令嬢といったものに関心があったのも相まって、品の良い乙女で在り続けたいという思いは膨らみ続け、今も日々上品さをモットーに自分を磨いている。

もちろん、自分のこれが異様な執着で、他の人はここまで品性を重視していないということは分かっている。それでも、最近はどこもかしこも下品だなと思わずにはいられない。京都を出たからかしらん。そんな訳ないか。

よく下品だなと思うのは、短い丈のスカートや、安っぽいリボン、レース。夜の街が似合いそうなゴテゴテしたビジューに、大口を開けて笑う人。下ネタを恥らわずに話す人。「クソ𓏸𓏸」という言い回しや、草、ばかおもろいという謎の修飾語。

だからわたしはかわいいなとは思っても決して地雷系ファッションや量産型ファッションには手を出さないし、友達が会話で笑いながら「草」と言ってきても、同調せずに「ほんまおもろい」とかで返す。本当は関西弁も消したいけど、これはまだ時間がかかるの。地元のお友達と話すとつい出てしまう。

にこにこ関わりながら、腹の中では相手の品の無さを冷ややかに見ているわたしは性格が悪いんだろうか。でも別に、自分のこだわりが強いだけなのは自覚しているから相手に直接注意なんてしないし、別に、少しくらい品が無いからと言って軽蔑なんてしない。そもそも流行り言葉や若者言葉なんてのは若者が使うからそう呼ばれるのだし、わたしの友達は若者だらけだもの、まだ仕方ない。

仕方ないと割り切れてはいるものの、たまにどうしても世間の品の無さに反吐が出そうになる。どうして皆品性を保とうとしないの?少し気をつけるだけで随分美しくなれるのに、なぜそこに目を向けないの?見た目をごてごてと飾り立ててなんとなく似合ってもいない流行りのメイクをして、なんて心が貧しいの。

そういえば、「流行の雑誌で生き方定めてファッション ファッション」と岡村靖幸も歌っていたっけ。きっと若者の心が貧しいのは太古の昔から変わらないことなのね。こうやって上から目線で周囲を眺めているわたしもきっとまだまだ貧しくて裸の王様なんでしょう。もっと品のある人になりたい。